フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィル ベートーヴェン第5番(1937.10&11録音)ほかを聴いて思ふ

苦悩から歓喜へ。
無事より多事が良し。
挫折こそが悟りへの道なのだと知ったベートーヴェンの心底にあった思いはそんなところだったのだろうと思う。

形式的にも内容的にも一部の隙もない完全なる交響曲第5番ハ短調作品67。
スタジオでのフルトヴェングラーは冷静で、聴衆を前にしての演奏に比して、大人しく物足りないという通説がある。しかし、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団との1937年の録音は、内燃する炎が見事に刻印されるもので、古びた録音から猛烈なパッションと劇的なエネルギーが発露する極めつけの一つであるように昨今僕は思う。
第1楽章アレグロ・コン・ブリオは荒れず、中庸の精神に基づく。また、第2楽章アンダンテ・コン・モートも深い思念に支配される哲学的な音に満ちる(特にフォルティシモの箇所の、飛び切りのパワー)。そして、第3楽章スケルツォの暗澹たる、地底から湧き上がる地鳴りのような低音部の意味深さに涙し、アタッカで堂々と進む終楽章アレグロ―プレストでの歓喜の大爆発、コーダの猛烈な突進にいよいよ感動を覚えるのである。

ベートーヴェン:
・交響曲第4番変ロ長調作品60(1950.1.25&30録音)
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
・交響曲第5番ハ短調作品67(1937.10.8&11.3録音)
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

戦争前夜の不穏な空気も刷り込まれているのかもしれぬ。

数々の嘆願を聞いた後で、トスカニーニは二つの条件をつけた上でザルツブルグへ戻ることに同意した—フルトヴェングラーに会わなくてもよく、又、彼と何の関係も持たなくてもよいならば、そして、フルトヴェングラーに二度と再び戻るように要請しないならば。
ある日、フルトヴェングラーはトスカニーニの控室に入って行った。何年か経ってマエストロはこの会見のことを想い出しながら、このドイツ人が丈は遙かに彼よりも高かったが、彼を恐れている様子だったと冷やかに笑った。
トスカニーニはフルトヴェングラーを睨みつけて言った。
「私はあなたには会いたくありません。」
「何故ですか?」
「あなたはナチだからです。」
「それは真実ではありません。」フルトヴェングラーは抗弁した。
「いや、あなたはナチです。」トスカニーニは言い張った。「あなたが党員カードを持っていようといまいとです。あなたはロンドンでは西側でのあなたの地位を失わずにすむように、自分の立場をよくしておくためにユダヤ人と食事をし、ドイツではヒトラーのために食事をしています。」
トスカニーニはこの丈の高い男に背を向けてしまった。フルトヴェングラーはゆっくりと歩み去った。

~ダニエル・ギリス著「フルトヴェングラーとアメリカ」(日本フルトヴェングラー協会)P40-41

二人の大指揮者の間にあった有名なエピソードだが、真偽は定かでない。しかし、火のないところに煙は出ないもの。この話には、フルトヴェングラーの負の一面、劣等感や嫉妬の念や、そういうものが垣間見られ、しかし、それゆえにあの、人間的で情念の炎燃え盛る音楽が創造されたのだと理解でき、真に興味深い。パッション揺れる曲線的なフルトヴェングラーの解釈に対し、赤裸々で直線的なトスカニーニの解釈の比較が何とも面白い。

ベートーヴェン:
・交響曲第5番ハ短調作品67(1939.2.27, 3.1&29録音)
・交響曲第8番ヘ長調作品93(1939.4.17録音)
・エグモント序曲作品84(1939.11.18放送録音)
アルトゥーロ・トスカニーニ指揮NBC交響楽団

トスカニーニの音楽には、思わせぶりなトリックがない。
第1楽章アレグロ・コン・ブリオは、文字通り生命力の発露であり、また、第2楽章アンダンテ・コン・モートはすでに歓喜の歌だ。もちろん第3楽章スケルツォに暗さは存在せず、(意外に)軽い。しかしその一方、終楽章アレグロのスピードと雄渾さには目を瞠る。ここにあるのは皆大歓喜。ベートーヴェンが微笑んでいる。

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