カール・ベームのライヴは前のめりで推進力に富み、大概素晴らしい。
巷間評価の高いバイロイト音楽祭での「指環」は、おそらく劇場で体感していたらば、身震いするほどの感動と歓喜を得られたのだろうが、録音だとどういうわけかスケールが小さく感じられ、今一つ心に響かないというのが、今の僕の正直な感想だ。
楽劇「ワルキューレ」を「ながら聴き」ながら、ここのところ時間があるたびに耳にしていた。歴史的なパフォーマンスに違いはないのだが、やっぱり何かが足りないのである。
しかしながら、この録音の価値はビルギット・ニルソンのブリュンヒルデにあると、第2幕を聴いてあらためて思った。第4場以降のジークムントとジークリンデのやりとり、そこに絡むヴォータン(テオ・アダム)とブリュンヒルデの父娘の骨肉の争い(?)におけるリアリティある歌唱こそニルソンの真骨頂。
ブリュンヒルデ
この馬に乗って! あなたを助けるわ!
(彼女はジークリンデを急いで、脇の峡谷の傍に置いておいた自分の馬に乗せ、一緒にすぐに消える)
(暗雲が中央で割れ、たおれたジークムントの胸から槍を抜いたフンディングがはっきりと見える。ヴォータンは暗雲に囲まれて、後の岩の上で槍にもたれ、ジークムントの亡骸を辛そうに眺めながら、立っている)
ヴォータン(フンディングに)
行け、奴隷よ! フリッカの前にひざまずけ!
彼女に告げるのだ、ヴォータンの槍が
彼女の名を汚した原因の復讐を果たしたと!
行け! 去れ!
(彼が軽蔑して手を一振りすると、フンディングは死んで倒れる)
ヴォータン(突然、激しく怒りだす)
しかしブリュンヒルデは! 命令に背いた女に災いあれ!
その生意気な女に厳しい罰を与えるぞ。
わしの馬が逃亡する彼女に追いついたなら!
(彼は稲妻と雷とともに消える。—幕が素早く下りる)
~井形ちづる訳「ヴァーグナー オペラ・楽劇全作品対訳集2―《妖精》から《パルジファル》まで―」(水曜社)P87-88
表裏一体たる愛と憎しみを超えるのは、真の慈しみだ。
そして、何とかそれを示唆しようとしたブリュンヒルデは、終幕最後、ついにヴォータンの怒りの矛先を向けられてしまう。
ヴォータン
さらば、勇敢な素晴らしい子よ!
お前は、わしの心の最も聖なる誇りだ!
さらば! さらば! さらば!
(非常に情熱的に)
わしはお前を遠ざけねばならない。
もはや愛情を持って
お前を歓迎することは許されない。
~同上書P103
そんなクライマックスたるシーンの音楽に、(少なくとも録音において)どうにも狭量さを感じてしまう僕の器の小ささよ。
しかしながら、凄まじい気迫が漲る舞台であることは確かだ。
想像するに、それでなくとも(真夏の盛りの)蒸し暑い祝祭劇場が、ベームの作り出す音楽の熱気に包まれて、汗だくになっている光景が思い浮かぶ。そう、劇場そのものが灼熱の中に、文字通りブリュンヒルデがヴォータンによって閉じ込められた、燃え盛る火の海の如くだ。特に、第2幕後半から、終幕の息切れしてしまう(?)魔の炎の音楽の直前までが最高の音楽を示す。