水と空気と大地と・・・

生、もしはかなき夢にすぎずば、
辛労何の甲斐あらん?
我はひねもす、このよき日を、
飲み得ざるまでに、酒にひたらん!
(訳:渡辺護)

マーラーの「大地の歌」から第5楽章「春に酔える者」冒頭の歌詞である。李太白の詩に基づくものだが、何と退廃的で、しかし一方人間らしい言葉であることか。すべてが幻であり、虚構であるとするなら生きたいように生きた方が良い、そうもっと自分らしく生きたいと心が叫ぶ。

地は安息と眠りに息づき、
ありとあるあこがれは夢路に入らんとす。
人は疲れ果て、家路を急ぎ、
忘れられし幸と若さとを
眠りの中に戻さんとす!

鳥は音なく枝にうずくまり、
万象は眠りにつく・・・

我が松の木陰に冷え冷えと風吹く。
最後の別れを告げんため、
我はここに佇み、友を待つ。
(訳:渡辺護)

そして、第6楽章「告別」(孟浩然、王維)。森羅万象、大自然と小人間との対比。

我いずこに行くとや?我は山に行かん。
我が孤独なる心に憩いを与えん。

いとしきこの大地に春来たりていずこにも花咲き、
緑新たなり!遠き果てまでに、いずこにも、とこしえに青き光!
とこしえに・・・とこしえに・・・
(訳:渡辺護)

水と空気と大地と・・・、自然の前に傅け、と。

マーラー:大地の歌
ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(バリトン)
ジェームス・キング(テノール)
レナード・バーンスタイン指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(1966.4録音)

ちょうど45年前のウィーンでの録音。このバーンスタイン盤の特長は、ご存じの通り偶数楽章をコントラルトでなく、バリトンに歌わせているところ。今になってわかった。フィッシャー=ディースカウは上品過ぎるきらいがあるが、歌詞をあらためて見てみてこの歌を歌うのは男性でなければならぬと。

無性に「大地の歌」が聴きたくなって、そんなことを考えた。


3 COMMENTS

雅之

おはようございます。

>歌詞をあらためて見てみてこの歌を歌うのは男性でなければならぬと。
なるほど、おっしゃるとおりかもしれません。
バーンスタイン盤のように、マーラー「大地の歌」の偶数楽章をフィッシャー=ディースカウのような名バリトンが歌う演奏を聴くと、私には、シューベルトの「冬の旅」と地続きというか、ほとんど続編のような気分になります。
「冬の旅」でさすらう旅に出た青年は、いつしか人生の秋を迎え、過ぎ去ったおのれの春も、現在、そして未来の若者の春も、廻る大自然や人類の春夏秋冬をも、すべてを歓び受け入れる心境となる。
人生は長い旅だ・・・。

おくの細道
               芭蕉

 月日(つきひ)は百代の過客(くわかく)にして、行きかふ年(とし)もまた旅人なり。舟の上に生涯(しやうがい)をうかべ馬の口とらへて老(おい)を迎ふる者は、日々旅(たび)にして旅を栖(すみか)とす。古人も多く旅に死せるあり。予もいづれの年よりか、片雲(へんうん)の風(かぜ)にさそはれて漂泊(へうはく)の思(おもひ)やまず、海浜にさすらへ、去年(こぞ)の秋江上の破屋に蜘蛛(くも)の古巣(ふるす)を払ひてやゝ年も暮、春立てる霞(かすみ)の空(そら)に、白川の関越えんと、そゞろ神の物につきて心をくるはせ、道祖神(だうそじん)のまねきにあひて取る物手につかず、股引(もゝひき)の破(やぶ)れをつづり笠の緒(を)つけかへて、三里に灸(きう)すうるより、松島の月まづ心にかゝりて、住める方は人に譲り、杉風が別墅(べつしよ)に移るに、
 
  草(くさ)の戸(と)も住(す)みかはる代(よ)ぞ雛(ひな)の家(いへ)

 表(おもて)八句を庵の柱にかけおく。

 弥生(やよひ)も末の七日、あけぼのの空朧々(ろうろう)として、月は有明(ありあけ)にて光をさまれるものから、不二(ふじ)の峯幽(かすか)にみえて、上野(うへの)谷中(やなか)の花の梢(こずゑ)又いつかはと心細し。睦まじきかぎりは宵よりつどひて、舟にのりて送る。千住(せんぢゆ)といふ所にて舟をあがれば、前途(ぜんと)三千里のおもひ胸にふさがりて、幻(まぼろし)の巷(ちまた)に離別(りべつ)の涙(なみだ)をそゝぐ。
  
  行(ゆ)く春(はる)や鳥(とり)啼(な)き魚(うを)の目(め)は泪(なみだ)

 これを矢立(やたて)の初(はじ)めとして、行く道なほ進まず。人々は途中に立ち並びて、後影の見ゆるまではと見送るなるべし。・・・・・・
http://www.h3.dion.ne.jp/~urutora/okunohosomichi.htm

昨日の昼、私は「おくの細道」終着点である、岐阜県大垣市にいました。

・・・・・・8月21日頃、大垣に到着。芭蕉の門人たちが集い労わる。
9月6日 芭蕉は「伊勢の遷宮をおがまんと、また船に乗り」出発する。

結びの句
  蛤(はまぐり)の ふたみにわかれ行く 秋ぞ
http://www.h3.dion.ne.jp/~urutora/oku22.htm

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岡本 浩和

>雅之様
おはようございます。
「大地の歌」⇒「冬の旅」⇒「おくの細道」という連想、素晴らしいです!
若くして亡くなったシューベルトを別にすれば、芭蕉が「おくの細道」を上梓したのが45歳、そしてマーラーが「大地の歌」を生み出したのが48歳のときですから、ちょうど我々くらいの年代かと思うと驚きを隠せません。

よく「諦念」などという言葉が使われますが、これらの芸術作品には大自然やすべてをありのままにみて、受け容れよという「悟り」の思いのようなものが感じられます。

自分を振り返ってみて、まだまだだなぁと反省します。

返信する
岡本 浩和

>雅之様
追伸
そういえば、昨年8月に同じ部分を抜粋いただいたコメントがあったことを思い出しました。
http://classic.opus-3.net/blog/?p=2652

すっかり忘れていましたが・・・。
僕もワルターの1936年盤で再度耽ってみたいと思います。

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