20世紀は「録音」の時代でもある。
「録音」の登場によって一ディレッタントの音楽芸術を享受できる幅は確実に広がったのだから、エジソンのこの発明の功績は真に計り知れない。
ベートーヴェンの第5交響曲。人類最初の録音はアルトゥール・ニキシュによるものだが、貧しい録音から聴こえるその緩急自在の解釈に、なるほど前時代的な表現でありながら聴衆の心を確実に捉えたであろうと想像する。
例えば、第1楽章アレグロ・コン・ブリオのオーボエにおける短いカデンツァ直前の美しいフェルマータの粋。完全である。
私の感覚をどうやって奏者に伝えるのかとよく聞かれますが、どうするかわからないまま、ともかくやっています。一つの作品を指揮するときには、音楽の刺激的な力に心を奪われてしまいます。私は、一定の法則に従って音楽を解釈することはしません。(・・・)ですから、私を突き動かす感情の強さに応じて、解釈は、ほとんどどの演奏でも、細部で絶えず変化します。
~ヘルベルト・ハフナー著/市原和子訳「ベルリン・フィル―あるオーケストラの自伝」(春秋社)P66
ニキシュもフルトヴェングラー同様、いわばデュオニソス的な音楽をその時の感覚に任せて披露したのだといえる。
また、エーリヒ・クライバーによるニキシュ評には次のようにある。
彼が、たった1回のリハーサルだけで、どうやってあの陶酔、熱狂、美しい響きを導き出せるのか、私にとっても聴衆にとっても想像を絶する。彼が指揮をするといつも、まるで孤独な仕事部屋で一人で夢みているような音が鳴りわたる。
~同上書P68
すべてが奇蹟だったのだ。
1997年に発行された「ドイツ・グラモフォン完全データ・ブック―DGの100年を聴く」(音楽之友社)。付録の2枚のCDを久しぶりに聴いて思った。
・ベートーヴェン:交響曲第5番ハ短調作品67~第1楽章
アルトゥール・ニキシュ指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(1913.11録音)
・チャイコフスキー:交響曲第6番ロ短調作品74「悲愴」~第3楽章
ブルーノ・ワルター指揮ベルリン国立歌劇場管弦楽団(1923録音)
・ワーグナー:楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」第1幕前奏曲
ハンス・クナッパーツブッシュ指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(1928録音)
・シューマン:歌曲集「ミルテの花」作品25~「くるみの木」
レオ・スレザーク(テノール)(1928録音)
・ベートーヴェン:劇音楽「エグモント」作品84~序曲
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(1933録音)
・モーツァルト:歌劇「魔笛」K.620~序曲
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン国立歌劇場管弦楽団(1938.12.9録音)
・ムソルグスキー:交響詩「はげ山の一夜」
近衞秀麿指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(1938録音)
・モーツァルト:ピアノ協奏曲第20番ニ短調K.466~第3楽章前半
ヴィルヘルム・ケンプ(ピアノ)
パウル・ファン・ケンペン指揮ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団(1941録音)
・シューベルト:歌曲集「冬の旅」D.911~「菩提樹」
ハンス・ホッター(バリトン)
ミヒャエル・ラウハイゼン(ピアノ)(1950録音)
・ベートーヴェン:歌劇「フィデリオ」作品72~序曲
フェレンツ・フリッチャイ指揮バイエルン国立管弦楽団(1957.5-7録音)
・ベートーヴェン:交響曲第5番ハ短調作品67~第1楽章
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(1962.3.9-12録音)
・ドヴォルザーク:交響曲第8番ト長調作品88~第4楽章
ラファエル・クーベリック指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(1966.6録音)
・レーヴェ:オイゲーン公作品92
ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(バリトン)
イェルク・デームス(ピアノ)(1968.7録音)
・ショパン:スケルツォ第2番変ロ短調作品31
マルタ・アルゲリッチ(ピアノ)(1974.7録音)
・ブラームス:交響曲第3番ヘ長調作品90~第3楽章
カール・ベーム指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(1975.6.2録音)
・チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品35~第3楽章
ギドン・クレーメル(ヴァイオリン)
ロリン・マゼール指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(1979.12.1-3録音)
・ビゼー:歌劇「カルメン」~闘牛士の歌
ジョゼ・ヴァン・ダム(バリトン)
パリ・オペラ座合唱団
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(1982.9録音)
・サン=サーンス:組曲「動物の謝肉祭」~白鳥(ヴィダル編)
ミッシャ・マイスキー(チェロ)
セミョン・ビシュコフ指揮パリ管弦楽団(1991.6録音)
・ワーグナー:歌劇「ローエングリン」第1幕前奏曲
クラウディオ・アバド指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(1991.11, 1992.5-6録音)
何という夥しい数の名演たち。クナッパーツブッシュの「マイスタージンガー」前奏曲の、旧い録音を超えて迫る真実性と光輝!あるいはスレザークの「くるみの木」における優しい癒しの歌唱。いずれもが90年近くも前の録音であるという事実に言葉を失う。
そして、近衞秀麿子がベルリン・フィルと録音した稀代の「はげ山の一夜」!!内燃する劇性と抒情性の葛藤。実に素晴らしい演奏。
さらには、ホッターの夢見る「菩提樹」の哀感と深み。フリッチャイによる「フィデリオ」序曲も躍動感に溢れ、聴く者を恍惚とさせる。
クラシック音楽が一番輝いていた古き良き時代の優れた録音たちに乾杯!
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録音で音楽を聴くって、人間を模したアンドロイド(レプリカント)が奏でる音楽を聴くってことではないかと、いつも思います(ミスを正しく編集してあったりすると、特に)。
近い将来、往年や現役の名演奏家にそっくりなレプリカントの指揮者やピアニストで、コンサートやリサイタルが開催される時代に確実になると、私は予測していますが・・・。
それにしても、我々は今まで録音で、いったい何百種類のベト5を聴いてきたことになるのでしょうね。
「ふたつで十分ですよ」
https://www.youtube.com/watch?v=q0qgiak-3bc
>雅之様
>近い将来、往年や現役の名演奏家にそっくりなレプリカントの指揮者やピアニストで、コンサートやリサイタルが開催される時代に確実になる
そうなったらすごいですね!というか、怖いか・・・(笑)
>「ふたつで十分ですよ」
あ、はい・・・。
[…] ※過去記事(2016年2月1日) […]