オグドン アレグリ弦楽四重奏団 エルガー ピアノ五重奏曲イ短調作品84(1969録音)

私は作曲家の仕事を、昔の吟遊詩人のようなものだと考えている。当時は人々の前へ行き歌で活気づけたりしたものだ。今、音楽で何かを祝いたい人がたくさんいることを私は知っている。私はそういう人たちのために作曲をする。
(サー・エドワード・エルガー)

人の本性は慈しみであるというが、人とつながるのは慈しみの発露と同時に、共に楽しむためにあるのだと思う。しかし、性格・性質の自分で物事に対処しようとすると、人は自ずと苦しみの共有によって共感を生み出そうとする。本性にリーチできることがどれほどのアドバンテージになるか。良い音楽はきっとその媒介になるのだと思う。

1920年4月の最愛の妻の死以降、エルガーは大作の筆をほぼ折ることになるが、その直前の、いわば創作活動の最頂点にあった巨匠の、内省的逸品が弦楽四重奏曲であり、ピアノ五重奏曲だった。

尊敬するロベルト・シューマン以上に悲哀が表出し、ブラームス以上に浪漫の音調を湛える弦楽四重奏曲は、いぶし銀の傑作。冒頭、悲愴感漂う静かな主題を持つ第1楽章アレグロ・モデラートの慟哭に一聴惹かれる。そして、妻アリスが愛したという第2楽章ピアチェヴォーレ(ポコ・アンダンテ)の慈悲はブラームスの作品との双生児のようだ。
内へ内へと振り返る終楽章アレグロ・モルトがまた内省的で素晴らしい(内省力はブラームス以上か)。

エルガー:
・ピアノ五重奏曲イ短調作品84(1919)(1969録音)
ジョン・オグドン(ピアノ)
アレグリ弦楽四重奏団
ヒュー・マグワイア(ヴァイオリン)
デイヴィッド・ロス(ヴァイオリン)
パトリック・アイルランド(ヴィオラ)
ブルーノ・シュレッカー(チェロ)
・弦楽四重奏曲ホ短調作品83(1918)(1971録音)
ミュージック・グループ・オブ・ロンドン
ヒュー・ビーン(ヴァイオリン)
フランシス・メイソン(ヴァイオリン)
クリストファー・ウェリントン(ヴィオラ)
アイリーン・クロックスフォード(チェロ)
・セレナード(1932)(1969録音)
・演奏会用アレグロ作品46(1901)(1969録音)
ジョン・オグドン(ピアノ)

一方、ピアノ五重奏曲は、当時のエルガーの充実した心境ぶりを示す逸品。
心底から喜び湧き上がる第1楽章モデラート—アレグロ、と思いきや、終結は暗い悲しみに包まれる。大英帝国の暗鬱たる風景と同期する心象は、エルガーの根っからの性質の反映なのかどうなのか(フロレスタンとオイゼビウスの如く)。そして、甘く懐かしい音調の第2楽章アダージョは、まもなく訪れる愛妻の死を予言するかのような、まるで愛別離苦を表現する心情吐露だ。さらに、弦楽器とピアノが悲痛な叫びをあげる終楽章アンダンテ—アレグロは、作曲家として実績を積み上げてきたエルガーの総決算ともいえる哲学的重み。

オグドンとアレグリ弦楽四重奏団の阿吽の対話が美しい。

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