僕がショスタコーヴィチに出逢ったのは比較的遅かった。若い頃、どうしてもドイツ音楽絶対主義的な偏見があり、ロシア物を蔑視していた(というより軽くみていた)傾向があり、チャイコフスキーやラフマニノフなどをムード音楽的に捉えてしまっていた。確かに19世紀ロシア音楽には古き良きロマノフ王朝の甘美な得もいわれぬ陶酔感があったと思う。しかし、20世紀になり、ストラヴィンスキーやプロコフィエフなどモダニズムの申し子的な作曲家が現れるにつれ、ロシアはいわゆるヨーロッパに対するコンプレックスを翻すかの如く時代の先端を走る芸術を排出するようになった。そこへロシア革命である。宗教は否定された。つまり、芸術というものが否定されたのである。多少なりとも西洋史を勉強していたがゆえの狭い了見での軽蔑。我ながら浅薄であった。
齢30を越えた頃だろうか。ある日NHK教育テレビで幻のムラヴィンスキーの映像が初公開されたときの衝撃は並大抵ではなかった。フルトヴェングラーの音楽を初めて聴いたときもそうだったが、このビデオを観た時の感激は筆舌に尽くしがたい。シューベルトの未完成とショスタコーヴィチの「革命」というプログラム。しかも、1983年という晩年の指揮姿。まだ彼のLDやDVDが一般に流布していない頃だ。
ショスタコーヴィチ:交響曲第5番ニ短調作品47「革命」(1984Live)
エフゲニー・ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団
当時既に指揮棒を持たず椅子に座っての指揮。ひとたび音楽が始まるや神の如くの悟りの表情や創り出す音楽の険しさ、そして電気の走る管楽器の咆哮などは、当時のソ連の劣悪な録音録画状況を差し引いてみても途轍もない記録であることは明白であった。
ムラヴィンスキーの一挙手一投足に過敏に反応するオーケストラ楽員たち。共産主義ソ連が長い年月をかけて産み出した芸術の最高傑作がムラヴィンスキー率いるレニングラード・フィルだったのだろうことが容易に想像できる。
このショスタコの「革命」は素人受けのする彼の音楽の中で最も有名なものかもしれない。だから逆に玄人には敬遠される代物である。確かに体制に迎合するような多少わざとらしい「臭さ」はあるにはある。しかし、チャイコフスキーの第5交響曲同様ムラヴィンスキーの十八番であることは間違いない。
あぁ、一度でいいのでムラヴィンスキーの生を聴いてみたかった。
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