メンゲルベルクのディスクは、濃厚なロマンティシズムに彩られているのが特徴的で、テンポは自在に伸縮し、ある音からある音へ移動する際に記譜通りに跳躍しないで、滑らかに連続的に移っていくポルタメント奏法が随所に盛り込まれている。その結果、ロマン派の作品では、とてつもなく甘美で陶酔的な響きを発する反面、古典派の演奏に関しては、「さすがにやり過ぎだ」という声が出ていたのも事実である。
(満津岡信育)
~PROC-1893/7ライナーノーツ
この40年のライヴと2年前のライヴを比較してもわかるが、メンゲルベルクの解釈の違いはほとんどない。つまり、いかにも即興的に聴こえるテンポの伸縮もアゴーギクも、何もかもが計算の上で、入念なリハーサルのもと再生されたものだということだ。
メンゲルベルクのロマンティシズムは頭脳によって生み出されたものであるゆえ古びるのも早い。芸術とは、音楽とは自然体であり、また大らかであることが大事なのだと、巨匠のベートーヴェンを聴いて思う。
ただし、一期一会の第九。
アムステルダムはコンセルトヘボウでのツィクルスの記録。
どこをどう切り取ってもメンゲルベルク節満載の、とっておきの「第九」。
10年に1度くらいのペースで聴くが、そのたびに新しい発見があり、新鮮な思いで聴けるのだから素晴らしい。
ベートーヴェンに対する尊崇は、日本だけの現象ではないが、ベートーヴェン無くんば西洋音楽無しの感あるは、多少の行き過ぎにしても、一方音楽の普及力、並びに文化に対する滲透力の方面から言えば、まことに結構なことであったと思う。わけても日本の如き音楽の処女地に、急速に良き音楽—芸術的な音楽を植え付けるために、ベートーヴェンは、どれだけ役に立ったことか。その英雄的な魂と、力と熱の音楽は、兎にも角にも、どんな人でも一度は引き摺って行かなければ承知しなかったのである。
~あらえびす「クラシック名盤楽聖物語」(河出書房新社)P97-98
あらえびすの推薦するベートーヴェンの音盤には、メンゲルベルクによるテレフンケン録音が大抵入っていた。「やり過ぎ」といいながら、その芸術の誠心誠意に大衆は感動したのだろうと思う。ましてや実演に触れた人たちなら当然のように。
終楽章コーダの見得の切り方が半端でない(最高だ)。
メンゲルベルク指揮コンセルトヘボウ管のベートーヴェン全集(1940Live)を聴いて思ふ