メンゲルベルク指揮コンセルトヘボウ管のベートーヴェン全集(1940Live)を聴いて思ふ

beethoven_mengelberg_aco397音楽は波動であり、エネルギーである。
演奏する者の内面、思考も思想も、感情も癖も、すべてが反映される鏡の如し。
面白いのは同曲異演の比較。別人のものは尚更、同一人物のものでもその時の体調や精神状態や、あるいはその場の聴衆の質や場所の気や、そういうものに覿面に影響を受ける。
そのことが、実演は当然として、いわゆる録音、音盤でも如実に見えるのだから面白いのである。
例えば、何十年も経過した、鑑賞に堪え得るギリギリの音質のものでも重要なのはまさに波動で、レンジの狭い劣悪な状態の音楽であってもその内奥に刻まれる演奏者の想いは十分に感じとれるもの。
パッションが刻印されるか否か、人々に感動を与えるパフォーマンスとそうでない者との決定的な差はそこにある。

キング・クリムゾンのことをあらためて考えた。
根拠の曖昧な僕の独断と偏見であり、しかも少々感情的な意味合いも含まれたものだから、首肯できない方にはとても失礼な言い方になろうゆえ、できれば読み流していただきたいのだが、やっぱり今の彼らにはそれこそ新鮮な、初志のようなものが明らかに欠けていたように思うのである。確かにパフォーマンスは完全で、立派なものだったけれど、またもう一度体験したいかと言われれば、少なくとも僕の場合は「ノー」。真に残念なことに。要は初期の名作群はやっぱり封印しておくべきだった。その代り、2000年以降に作曲された作品を中心に披露する再々々々・・・結成クリムゾンで十分だった。

時間と空間を世界と共有する音楽芸術はどんな時も一期一会でなければならぬ。どれほど名曲傑作であろうと、形骸化した音楽など何の薬にもならぬ。
また、どんなに愛着のある作品であろうと、エネルギーの低い、愛の感じられないものなどまったく不毛。

さて、ウィレム・メンゲルベルクのベートーヴェン全集。
今から75年も前の実況録音。
ロマン派の音楽ではあれほど粘着質で濃厚な味わいを見せたこの指揮者が、ベートーヴェンとなると恣意性が減退し、遊びの少ない解釈を前面に出すのだからこれまた興味深い。

ベートーヴェン:
・交響曲第1番ハ長調作品21(1940.4.14Live)
・交響曲第3番変ホ長調作品55「英雄」(1940.11.11録音)
・交響曲第2番ニ長調作品36(1940.4.21Live)
・交響曲第6番ヘ長調作品68「田園」(1940.4.21Live)
・交響曲第4番変ロ長調作品60(1940.4.25Live)
・交響曲第5番ハ短調作品67(1940.4.18Live)
・交響曲第7番イ長調作品92(1940.4.25Live)
・交響曲第8番ヘ長調作品93(1940.4.18Live)
・歌劇「フィデリオ」序曲作品72c(1940.11.28Live)
・交響曲第9番ニ短調作品125「合唱」(1940.5.2Live)
トー・ファン・デル・スルイス(ソプラノ)
スーゼ・ルーヘル(アルト)
ルイ・ファン・トゥルダー(テノール)
ウィレム・ラヴェッリ(バリトン)
アムステルダム・トーンクンスト合唱団
オランダ王立オラトリオ協会合唱団
ウィレム・メンゲルベルク指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

もちろんメンゲルベルクゆえ、そうは言っても急加速&急ブレーキは健在で(甘美なポルタメントも)、いかに計算された表現であろうと、その場の聴衆に触発されたのであろう熱波が感じられる。その証拠に、唯一スタジオ録音盤が収録されている「エロイカ」だけが妙に冷静で、その分演奏の魅力に欠けるのである。
ちなみに、交響曲第9番などは、その日その場で触れていたなら卒倒していたであろう究極の姿を現す。
また、交響曲第8番に内在する愉悦と、今目の前で創造されているかのような生々しさにも感動。「フィデリオ」序曲も剛健で、音楽がいまここに生きている。

再び思う。音楽は真に波動であり、エネルギーであると。

 

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2 COMMENTS

雅之

音楽は「波」ですが、人間も物理学的に「波」です(ボーアも言っています)。

「音楽に感動する」とは、波同士の相互作用の結果ということになりますか。

さらに、音楽家に好不調の波があるのなら、聴き手にも同じく(体調も含め)好不調の波があるでしょうし、演奏者の発する周波数に、聴く方が理解不足で上手くチューニング出来ないこともあるでしょう。

一方、時代によって好まれる波の帯域が変化するのも自然な成り行きだと思います。AMラジオの時代から、スマホや地デジの時代に移り変わったのですしね(笑)。

20年前には皆が爆笑し大人気だった漫才のギャグが、今では誰も笑えないということはざらにあります。

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岡本 浩和

>雅之様
さすが雅之さん!
おっしゃる通りだと思います。
昔感動していた演奏に感動できなくなることもあればその逆もあり、それは何も奏者に限らず確かに自分の問題も関係していますよね。
大抵は他人ではなくて自分の問題だったりしますが・・・(笑)

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