「オペラのないモーツァルトなんて考えられません」
(吉田秀和)
NHK-FMで放送されていた「名曲のたのしみ」。
懐かしいその番組の中で、1980年代は主にモーツァルトの生涯や音楽がとり上げられており、特に10代の頃は僕もエアチェックをしては繰り返し聴いていた。
ちなみに、1987年4月5日放送分は、「これがモーツァルトの精髄だ」と題されていたようだ。
吉田さんは、モーツァルトのオペラについて次のように語る。
中でも「ドン・ジョヴァンニ」は演奏が難しく、曲そのものが他と比較して濃密なところがある。そして、音楽が劇を進行させていく、それが強いということを見逃してはいけない(音楽が発展することが劇を発展させることになるということ)。それこそがヘンデルなどバロックの天才たちと決定的に異なる点であり、そのことはワーグナーに至るまでそれはなかった。
後にも先にもない孤高の存在こそヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト。
吉田さんが採用されていたカラヤンの「ドン・ジョヴァンニ」を聴いた。
録音からほぼ40年。
近代オーケストラによる重厚な響きは、音楽優位の「ドン・ジョヴァンニ」であればこそ。
そうであるから音楽の内なるエロスが生きるのである。
感性的=エロス的な音楽の極致としての「ドン・ジョヴァンニ」。
キルケゴールの論を引用しよう。
第三段階はドン・ジョヴァンニによって示される。ここで私はこれまでとちがって、ひとつのオペラのなかからたったひとつの部分を選び出す必要はない。ここでは区別ではなくて綜合が肝要である。なぜならあのオペラ全体が本質的に理念の表現であって、2,3の楽曲を例外として、本質的にこの理念のなかにおさまり、中心たるこの理念を劇的必然性をもって指向するからである。
~ゼーレン・キルケゴール/浅井真男訳「ドン・ジョヴァンニ 音楽的エロスについて」(白水ブックス)P79
「ドン・ジョヴァンニ」のすべてを、しかもその音楽のすべてを肯定するキルケゴールの叡智。
ドン・ジョヴァンニのこの力、この全能、この生には、ただ音楽しか表現を与えることはできない。そして私はこれを言い表わすのに、それは生命のあふれる活気だ、という以外の述語を知らない。だからドン・ジョヴァンニがツェルリーナの婚礼の場に登場するおりに、彼にクルーセが「元気に、娘たちよ! おまえたちはみんなまるで婚礼をするような衣裳をつけている」(第1幕第8場)と言わせているとき、彼はまったく正しいことを語っているのであり、おそらくはまた、彼が考えている以上のことを語っているのである。
~同上書P111
物語が音楽と完璧に同期したとき、音楽は一層の生命力を獲得するのだろうと思う。
そして、主人公たるドン・ジョヴァンニはたとえたらし屋であったとしても全能になるのである。
ドン・ジョヴァンニを聞け。すなわち、もし君が聞くことによってドン・ジョヴァンニについての観念を得られないのなら、君はけっしてそれを得られないのだ。彼の生の開始を聞け。いなずまが雷雨の暗闇のなかから現われるように、彼は厳粛さの深みから、いなずまの速度よりも速く、いなずまよりも落ち着きなく、しかもいなずまと同じく確実に現われ出る。聞け、いかに彼が人生の多様性のなかに飛びこんでいくかを、いかに彼が確固たる防波堤にぶつかってくだけるかを。聞け、ごく軽やかに舞踏するヴァイオリンの響きを、聞け、喜びの合図を、聞け、快楽の歓呼を。聞け、享楽の晴れがましい至福を。聞け、彼の荒々しい逃走を。彼は自分自身を走り過ぎるのだ、いよいよ速く、いよいよ止めがたく。聞け、情熱の奔放な欲望を。聞け、愛のざわめきを。聞け、いざないのささやきを。聞け、誘惑のうず巻きを、聞け、瞬間の静寂を—聞け、聞け、聞け、モーツァルトの『ドン・ジョヴァンニ』を!
~同上書P114-115
あまりに有名な「ドン・ジョヴァンニ」論に、知行合一の絶対を思う。
かつて録音機器の存在しない時代にあって、音楽はその場に居合わせて「聴く」ものだった。
行なって、感じることこそエロスが感じ取れ、その先にあるアガペーまでもが体感できるのだろうと思う。
その点、今は便利だ。いつ、どこででもモーツァルトが、「ドン・ジョヴァンニ」が聴けるのだから。それにしても第2幕終場の凄まじさ!
騎士長の亡霊は少々明るく軽すぎるきらいがあるが、それでもブルチュラーツェの清澄な声が逆に一層ドン・ジョヴァンニの恐怖を煽る。一転、明朗な六重唱「あの裏切り者はどこだ」での類稀なる推進力に晩年になってもカラヤンの棒の鋭さは失われていなかったように思う。ここでの音楽の威力は絶大だ。
もちろん音楽のすべてを包含する序曲はつとに素晴らしい。
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