「勝利」とは?

「自己実現への道~交流分析の理論と応用」(社会思想社)を久しぶりに紐解いてみる。第1章「勝者と敗者」の冒頭の文章を以下引用する。

人間は誰しも新しい存在として、それ以前には絶対になかった存在としてこの世に生まれてくる。そして、彼は人生で勝利を得るために必要なものを備えて生まれてくるのだ。誰しも自分なりの方法で物を観察し、聞き、触れ、味わい、そして考えるのである。誰もが独特のユニークな潜在能力―可能性と限界をもっている。どんな人でも重要で、思索的で、よく気がつき、創造的、生産的な人間、すなわち勝者たりうる権利をもっているのである。

人は「勝つ」ということを履き違えて認識している。つまり、他者と比較することを幼少の頃から強いられ、他者より優位に立つことが「勝つ」ことだと信じ込んでいるのである。
しかし、この本の中で著者は言明する。

勝者というのは、他人を制圧し、負かすことによって相手に勝つような人間のことを言うのではない。ここでいう勝者とは、その人個人としてみても社会の一員としてみても信頼することができ、頼りになり、同情心に富み、純粋さをもった人間、本心から反応のできる人間をいうのである。敗者というのはこのような真実のこもった行動のとれない人間のことである。

僕は20年近くこの文章を座右の銘にしてきたが、果たして真に「勝つ」ことは一生の闘いである。それも自分自身との闘い・・・。

昨日もとりあげたが、ショスタコーヴィチは一生懸けて「体制」と戦ったのではなく、「自分自身」と闘ったのではないかと思う。彼が第二次世界大戦中に発表した傑作交響曲、第7番「レニングラード」を聴きながら、そんなことを考えた。

ショスタコーヴィチ:交響曲第7番ハ長調作品60「レニングラード」
レナード・バーンスタイン指揮シカゴ交響楽団

「戦争」と題される第1楽章は30分を超す長大な音楽。「人間の主題」、「平和な生活の主題」が「戦争の主題」によって打ち消される。しかし、この楽章中、常に木霊のように鳴っているのはあくまで「人間の主題」!
第2楽章「回想」、第3楽章「祖国の大地」を経て、フィナーレは「勝利」と題する極めて人間的な音楽で、最後は第1楽章の「人間の主題」が回帰し、壮大な大団円を迎える。

そう、「勝利」とは、戦争における「勝利」、ドイツ軍を撃ち負かすということではなく、「人間としての勝利」、「自分自身との闘いにおける勝利を得る」ということを作曲者は音楽の力を借りて語っているのである。ベートーヴェンが第9のフィナーレで歌わせた「人間賛歌」。ショスタコーヴィチは楽聖よりはより人間らしく、より泥臭く「人間」の勝利、「魂」の勝利を讃えている。それも「人間の声」や「言葉」の力を借りずにだ。20世紀の生んだ傑作大交響曲。ベートーヴェン以降の最大のシンフォニストはマーラーでもブルックナーでもなく、ショスタコーヴィチかもしれない。

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