テバルディ&セラフィンのプッチーニ歌劇「ラ・ボエーム」(1959.8録音)を聴いて思ふ

昨日の宴の締めは、新郎新婦のソロを中心にしての有志24名によるコーラス”Seasons Of Love”(ミュージカル”RENT”より)。おそらく新婦によるだろう次の言葉が歌詞カードに添えられていた。

流れていく季節の中の一瞬一瞬
今、ここにいる瞬間も
愛であふれている。
今ここにいてくれることに
この時間を共にしてくれることに
感謝して歌を贈ります。

少々感傷的に過ぎる気もするが、とても良い場だった。
ブロードウェイ・ミュージカル”RENT”はプッチーニの歌劇「ラ・ボエーム」を下敷きにする。複数のボヘミアンの愛と苦悩の描かれたいずれの作品も、過剰とも思える感傷的な音楽が色を添え、僕たちに予定調和的な感動をもたらしてくれる。
マリア・カラスがミミに扮した「ラ・ボエーム」が素晴らしい。
しかし、スカラ座での諸々の事件が原因で袂を分かち、絶交状態にあったレナータ・テバルディがミミに扮した天下の名盤「ラ・ボエーム」は一層素晴らしいと僕は思う。

・プッチーニ:歌劇「ラ・ボエーム」
レナータ・テバルディ(ミミ、ソプラノ)
カルロ・ベルゴンツィ(ロドルフォ、テノール)
ジャンナ・ダンジェロ(ムゼッタ、ソプラノ)
エットーレ・バスティアニーニ(マルチェッロ、バリトン)
レナート・チェザーリ(ショナール、バリトン)
チェーザレ・シエピ(コッリーネ、バス)
フェルナンド・コレナ(ブノワ/アルチンドロ、バス)
ピエロ・デ・パルマ(パルピニョール、テノール)
トゥリオ・セラフィン指揮ローマ聖チェチーリア音楽院管弦楽団&合唱団(1959.8録音)

何より不屈のテバルディ。彼女の歌には、ある意味辛酸を舐めただけの確信がある。今更僕が何かを語るまでもない。

ところで、テバルディがセラフィンの指揮の下、この録音に従事していたちょうどその頃、カラスは海運王オナシスと出逢い、ある日突然彼女は恋に落ちていた。
そんな妻のことを許しても、夫メネギーニはオナシスのことを生涯許せなかったという。

私は、二人がたがいを思いやりながら合意に達することができればと心から望んでいる。原因はよく知られているとおり、マリア・カラスとアリスオテレス・オナシスとの関係だ。私は、マリアにたいしてはなんの恨みもない。彼女は貞淑で誠実な妻だった。しかし、オナシスのことは許せない。外国人を手厚くもてなすという慣習は、古代ギリシャ人にとって神聖なものだったのに。
ステリオス・ガラトプーロス著/高橋早苗訳「マリア・カラス―聖なる怪物」(白水社)P393

男はどうしても女を持ち上げる。僕の見解では、ファザコンであったカラスの依存性に問題があったのだ。その性質が男を翻弄し、自分自身を迷わせた。ただし、彼女の芸術は幼少の苦労があってこそのものともいえる。

その時のテバルディの思いは複雑だ。

私がスカラ座を去ることを決意したのは、カラスが劇場を独占していたためで、なお悪いことに、彼女があまりにも注目されすぎていたためでした。・・・とてもつらいことでしたが、残念ながら劇場を去るしかなかったのです。カラスは、レパートリーのなかから最高のオペラを選ぶ自由を与えられていました。それはほかの芸術家にたいして不公平でしたし、私にたいしても不公平でした。・・・あとで、スカラ座は何度も私に考えなおしてほしいと言ってきましたが、私は頑として聞き入れませんでした。カラスが君臨しているあいだは、どうしても戻りたくなかったのです。
~同上書P400

とはいえ、数年後、二人は和解する。苦難を経て、一回り大きくなったカラスがルドルフ・ビングのエスコートを伴って歩み寄ったのだろう。

テバルディは扉を開けた。二人の歌手は一瞬見つめあった。そして、言葉もないままに抱きあい、感涙にむせんだ。矛は完全におさめられた。
~同上書P400-401

感動の再会。現実の人間模様と、架空の人間模様が錯綜する。
マリア・カラスもレナータ・テバルディも不世出。
二人が同じ時期、同じ場所で競い合ったという奇蹟に乾杯。
幸せだ。

 

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