シュナイダーハン フリッチャイ指揮ベルリン放送響 メンデルスゾーン ヴァイオリン協奏曲ホ短調作品64(1956.9録音)

音楽は記憶を喚起する。
10代の多感な時代におけるクラシック音楽の洗礼は実に刺激的だった。
初めてその作品を聴いたときの感動は計り知れないものだ。その状況、その景色までもが今でもまざまざと思い出される。

当時は専らFM放送が情報源だった。
番組表をたよりに手当たり次第にエアチェックし、聴き覚えのある旋律に出くわしたときの感激(その意味では、記憶が薄れる中、未だに発見できない音楽もあるが)。

メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲はまさにそんな作品だった。
冒頭の主題に触れたとき、身体に電流が走ったことをはっきりと思い出す。

それは、ヴォルフガング・シュナイダーハンの独奏、フェレンツ・フリッチャイの棒による名演奏だった。シュナイダーハンの絶妙な弓捌きによるとろけるような音に僕はしばらく呆然となり、動けなかった。あの日の記憶が蘇る。何て美しい、そして喜びに溢れる音楽なのだろう。それは、45年を経た今も忘れられない。

・メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲ホ短調作品64
ヴォルフガング・シュナイダーハン(ヴァイオリン)
フェレンツ・フリッチャイ指揮ベルリン放送交響楽団(1956.9.19-23録音)
・リスト:ハンガリー狂詩曲第1番ヘ短調S359
・リスト:ハンガリー狂詩曲第4番ハ短調S359
・サラサーテ:ツィゴイネルワイゼン作品20
・フバイ:チャールダシュ作品32-4
ヘルムート・ツァハリアス(ヴァイオリン)
フェレンツ・フリッチャイ指揮ベルリンRIAS交響楽団(1954.9録音)

自家薬籠中のリストは、フリッチャイの真骨頂。
そして、ツィゴイネルワイゼンやチャールダシュにおける民族的主張でありながら、何とも可憐で奥床しい音響に、ツァハリアスの陽気を思う。

言ふ者は知らず、知る者は言はず。余慶な不慥かの事を喋々するほど、見苦しき事なし。いはんや毒舌をや。何事も控へ目にせよ。奥床しくせよ。むやみに遠慮せよとにはあらず、一言も時としては千金の価値あり。万巻の書もくだらぬ事ばかりならば糞紙に等し。
損徳と善悪とを混ずる勿れ。軽薄と淡白を混ずる勿れ。真率と浮跳とを混ずる勿れ。温厚と怯懦とを混ずる勿れ。磊落と粗暴とを混ずる勿れ。機に臨み変に応じて、種々の性質を見はせ。一あつて二なき者は、上資にあらず。

「愚見数則」
三好行雄編「漱石文明論集」(岩波文庫)P291

足さず、引かず、中庸であることの真理。我の見苦しさ。
まるでフリッチャイ晩年の音楽表現を表わすかのようだ。

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