
グルックの2つの「イフィジェニー」は、物語として続きものになっているが、後者は前者よりも5年も後に創作されており、作風は全く異なる。まず《オリドのイフィジェニー》はラシーヌの原作、デュ・ルレの台本による、ギリシア連合軍がトロイア遠征する直前の物語である。アガメムノン王の娘イフィジェニー(イピゲネイア)はアシル(アキレウス)との愛を諦め、狩猟の神ディアーヌ(アルテミス)怒りを鎮めるため生贄となる決心をするが、最後は救われる。その続きである《トリドのイフィジェニー》は、トロイア戦争後のトリドを舞台に、女祭司長となったイフィジェニーが、生贄として捕らえられた2人の若者、オレスト(オレステス、実は彼女の弟)とピラド(ピュラデス)を救う話である。
森佳子「グルック《オリドのイフィジェニー》と《トリドのイフィジェニー》 新たなトラジェディ・リリックの誕生」
~大崎さやの・森佳子編著/辻昌宏・大河内文恵・森本頼子・吉江秀和著「バロック・オペラとギリシア古典」(論創社)P147
後のベートーヴェンの歌劇「フィデリオ」のコンセプトにつながる画期的なオペラ。
此岸を生きている僕たちは、彼岸から見ればある意味囚人であり、生贄であるということもできるだろう。わずか5年ながら作風がまったく異なるのはグルックの意図というより大いなる力の賜物であるように僕には思える。

トロイア戦争が鍵を握る。
戦争は、ゼウスの、増えすぎた人口削減のための計画に端を発するが、何やら現代の諸相、それも陰謀論的に騒がれていることに相似だ。例によって男女の問題、そして、争いが争いを呼ぶ、終わりのない因果の法則。
覚悟が大事だ。
ワーグナー編曲による重厚な音楽が耳にこびりついているせいか個人的には愛聴する序曲の軽さが気になるところ。しかし、「トーリード」同様、グルックの革新的挑戦の賜物に違いなく、久しぶりに聴いてとても感激した。
イフィジェニーが最終的に救われるのは、彼女に真の役目があったからだ。
第3幕が出色。
合唱はコロス的に使われ、筋に直接関与せずに独立して進行していく。例として、ギリシア人による合唱、第3幕第7場「犠牲の合唱」(変ホ長調 4/4 Lento)を挙げておこう。舞台は海辺で、祭壇が置かれている。その前で、生贄となるはずのイフィジェニーはひざまずく。後ろでは大司祭が両手を天に向かって上げ、その手にはナイフがある。ギリシア人たちは舞台の両側に立ち、力強いフォルティッシモでホモフォニックな合唱となる。ここで始まる「踊りと合唱chœur dansé」は、フランス・オペラでは伝統的な方法で、合唱すべてに身振り(パントマイム)が伴われる。この場合、バックステージで歌っていた合唱団が次第に表に現れ、音楽もポリフォニックに変化する。そして彼らは、(おそらく)ダンサーとともに宗教的な雰囲気を形成するが、筋とは直接的な関係を持たない。群衆としての彼らの役割は「動き」を作り出すことであり、それこそがドラマを進めていく原動力となる。
~同上書P161-163
グルックの音楽はやっぱり素晴らしい。そして、ガーディナーの40年近く前の録音は今聴いても古びない。時代の先端を行くレコーディングだったのだろうと思う。


