アンナ・ゴウラリのバッハ/ブゾーニ編「シャコンヌ」を聴いて思ふ

anna_gourari_canto_oscuro028時空を超え、シャコンヌを巡る。
J.S.バッハの「シャコンヌ」が後世に与えた影響は真に大きい。一挺のヴァイオリンによる、かくも深遠な宇宙の鳴動が、300年近く前にドイツの小さな田舎町で生まれたという奇蹟。
一説によると、この音楽はバッハの最初の亡き妻マリア・バルバラのために書かれたものだという。エマ・カークビーの独唱とカルロス・メーナのリュートによる演奏があったが、真偽はともかく実に哀感溢れる慟哭の表現にひれ伏す想い。

ナタン・ミルシテインによるバッハの「シャコンヌ」(1720年頃作曲)。実に明朗で快活な音調。ここにはおよそ哀しみなど存在しない極めて楽観的で鷹揚な解釈。前へ前へとのめる前進性こそミルシテインの独壇場だ。

そして、イディル・ビレットによるブラームス編曲の左手のための「シャコンヌ」(作曲年は1877年以前ということだけで、詳細はわからない。原曲誕生から150年ほどの年月を経ての新生)。ショパン、ウェーバー、バッハの作品をピアノ練習曲のためにアレンジした作品集の1曲だが、このシャコンヌはブラームスらしく重厚ながら柔和、ここにも当然クララ・シューマンへの愛が十分に刻印される。

リューマチ、痛風結節、聴覚の異常や頭痛によって、最晩年のクララの活動がもっとも妨げられたのは、彼女にとって一番つらい分野だった。すなわち音楽の営みである。「もうピアノが弾けないなら、いったい私はどうなるのでしょう?」クララにとっては仕事こそが、「いつでも痛みを忘れることのできる最良の方法」だったはずだ。
モニカ・シュテークマン著/玉川裕子訳「クララ・シューマン」(春秋社)P207

最晩年に限らず、クララには持病があった。右手を負傷したのか、それとも病からの困難なのか、そのあたりは不明だが、ブラームスがそういう彼女のために書いた「左手による」作品は本当に優しさに満ちる。その上、難度の高い音楽ながら造りは実にシンプル(に聴こえる)。

さらには、有名なフェルッチョ・ブゾーニによる超ヴィルトォオーゾ・ピースとしての「シャコンヌ」。アンナ・ゴウラリの「カント・オスクロ」と題する音盤からのひとつ。原曲のもつ簡潔で深い趣きが、まるでリストの19世紀風浪漫に色づけされた、複雑でありながら表層的な感を拭えない編曲(ピアノを弾くことのできない僕が偉そうには言えないけれど。それでもたまに聴くと心動かされるのだからブゾーニはすごい)。

アンナ・ゴウラリ:カント・オスクロ
・J.S.バッハ/ブゾーニ編:コラール前奏曲「私はあなたを呼ぶ、主イエス・キリストよ」BWV639
・グバイドゥーリナ:シャコンヌ
・ヒンデミット:組曲「1922年」作品26
・J.S.バッハ/ブゾーニ編:コラール前奏曲「いざ来ませ、異邦人の救い主よ」BWV659
・J.S.バッハ/ブゾーニ編:シャコンヌ
・J.S.バッハ/ジロティ編:前奏曲ロ短調~ヴィルヘルム・フリーデマン・バッハのためのピアノ小曲集
アンナ・ゴウラリ(ピアノ)(2011.5録音)

最後はグバイドゥーリナの「シャコンヌ」(1962年作曲)。はるか後方に響き渡るバッハの残影に、どれほどの革新者であろうと18世紀ドイツの誇る天才の作品に影響を受けない者はいないのだと確信に至る。まるで極めて正確かつ調和をもって組み合わされた数字の魔法を、独自の視点で組み換え、並べ替えた傑作であると。

バッハは崇高だ。ブゾーニ編による2つのコラール前奏曲は涙なくして聴けぬほど静謐で安寧に溢れる。ジロティ編曲による「前奏曲」もあまりに懐かしく、哀しい。
さらには、ジャズの影響を受けたヒンデミットの組曲も秀逸。第3曲「夜曲」が美しくも幻想的。

時間と空間の芸術である音楽は、当然ながらそれ(時間と空間)自体を超えるのだ。

 

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2 COMMENTS

岡本 浩和

>うすい (@1Qt3oJAdzIQiBhp) 様

PC及びスマホで確認しましたところ、僕の方ではリンクは正しく表示されます。
どういう状態なのか察しがつきませんが、ご指摘ありがとうございます。

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