
バルトークは、不思議な人だった。私たちとはちがって、自然の根源のずっと近くで生きていた人間だった。彼は、教養と知性の点においてずばぬけて「現代的」な芸術家でありながら、一方で、終生ついに飼いならされることのない野生の獣のような本能の鋭敏さと生々しい感覚の冴えをもちつづけた不思議な人間だった。彼が断固として妥協を拒みつづけ、社会に対し、批判的という以上に、恐ろしく攻撃的で挑戦的でありつづけ、そのため他人を、特にまわりの親しい人びとを絶望と苦悩で苛むことが多く、そうして、それ以上に、自分を苦しめずには生きていられなかったのは、結局は、この不思議な在り方による。
~「吉田秀和全集11 私の好きな曲」(白水社)P292
彼岸と此岸を上手に統合できなかったのだ。
仮を借りて真を知る、仮もまた真である以上、僕たちは好むと好まざるとにかかわらず、混沌とした現代社会の荒波の中で生きていかなければならない。バルトークは、ある意味硬直した思念に振り回されていたのだともいえる。しかしながら、それゆえに、後にも先にもないバルトークの芸術が生まれたのだと思う。
バルトークの曲をきいていると、ときどき私は、この人は、単に私たちの耳にきこえない物音もききわける鋭敏な耳をもっていただけでなく、私たちが目で見ることのできないものの姿も、早くから見る力をもっていたのではないかという気がしてくることがある。彼の音楽のなかにあるものは、迫ってくる危険に対し、いちはやく身がまえる野獣の姿勢を連想させはしないだろうか?
~同上書P300
吉田さんの分析は実に明晰だ。
社会に対し常に攻撃的だったバルトークの作品を、ブーレーズが実に鋭敏に斬る。
「中国の不思議な役人」は、本来舞台を見ずして云々はできない作品だと思うが、ブーレーズの指揮によってその音楽の斬新さ(ストラヴィンスキーの影響もあろうが、あくまでバルトークの音楽として昇華されている)をあらためて確認し、ついに真髄が腑に落ちたと思った。吉田さんの言う、自然の根源とつながった野性味と、天から降ったような知性を併せ持った音楽は真に切れ味鋭く、感動的だ。

ハンガリーがミクロシュ・ホルティの独裁政権のもとでファシズムへと動いていくと、そうした多文化主義は訝られるようになった。民族主義者たちはバルトークが真のハンガリー精神を欠いていると受けとった。それと同時に、フォークロアとの関わりは、国際的な現代音楽の領域では、バルトークを一風変わった時代錯誤的な人物にした。国内ではコスモポリタンすぎ、海外では民族主義的すぎた。しかしながらバルトークは、地域的なものと普遍的なものとのあいだいにつねに求めてきた均衡を見いだしつつあった。
~アレックス・ロス著/柿沼敏江訳「20世紀を語る音楽1」(みすず書房)P117
先の吉田さんの論とリンクするかのように「20世紀を語る音楽」の中で、アレックス・ロスはそう論じている。そして、そういう性質を見事に顕すのがかのパントマイムなのである。
戦後の最初の数年間、バルトークはモダニストとしての証しとなるものを確立しようと励んだ。1920年にデンマークのカール・ニールセンがブダペストに来たときには、自らの弦楽四重奏曲第2番が「十分にモダン」だと思うかどうかを聞いている。前年しに完成したバレエ音楽《中国の不思議な役人》は、激しい多調性において《祭典》に匹敵しており、前奏曲の警笛の鳴る都市風景(バルトークは「様式化されたノイズ」と呼んだ)では未来主義が仄めかされている。
~同上書P117
未来音楽は1世紀を経て、ついに古典となる。
ブーレーズの解釈は、極めて精緻な絵画を見るが如くに正確無比のドラマだ。
何と素晴らしい音楽なのだろう。そして、そのスタイルをありのままに反映させたのが「弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽」なのだ。
地から湧き上がる音楽は次第に高揚し、頂点から下降、静かに終わりを迎え、地に還る第1楽章ダンダンテ・トランクィロの清澄な佇まいは自然を表すのだろうか(7分55秒)。一方、動的な第2楽章アンダンテは、人間の心の移り変わりを見事に描写する。慌ただしい現代人の真の姿だ(7分35秒)。
そして、感情を排した、続く第3楽章アダージョの神秘。ここはこの演奏の白眉(7分27秒)。
さらに、終楽章アレグロ・モルトでのすべてを放下するほどの解放と無(7分27秒)。
バルトークの天才のすべてがここに集約される。