
トスカニーニが指揮するグルック。
いわゆる近代オーケストラのための解釈が、火を噴くと思えば、次の瞬間、あまりにも瞑想的で、静けささえ感じられるという音調に思わず唸る。鎮静された熱気は、霊気を感じさせる敬虔な歌に満たされている。
(1952年)11月に彼は、グルックの《オルフェオとエウリディーチェ》の第2幕を上演した。その前に、ナン・メリマンと時々9ヶ月間に亘ってリハーサルしていた—「赤ん坊を作るのに必要なのと同じ時間」と、彼は冗談を言った。彼は、40年以上前にルイーズ・ホーマーと行なったのと全く同じように、各フレーズの色付けについてメリマンと特に熱心に取り組んだ。
~ハーヴィー・サックス/神澤俊介訳「トスカニーニ 良心の音楽家(下)」(アルファベータブックス)P443
歌劇「オルフェオとエウリディーチェ」の録音は第2幕のみが残されている。
冒頭からワーグナーか、それともヴェルディかと思わせるほどの浪漫に溢れる。
聴きどころは、第1場の壮絶な間奏曲、そして「精霊の踊り」(アリアとメロディの後、別のアリアが奏されている)とその直前の嵐の場面(怒りの舞)。
また、メリマンの歌唱は少々時代がかっているが、それでも骨太の名唱で、オルフェオの心情を見事にとらえている。
そして、さすがに20世紀初頭、幾度も再演をしたトスカニーニの棒だけある。
(内燃する熱狂とでもいうのか、果してグルックにはやり過ぎの感もあるが、それでも感動するのだから音楽とはこうあらねばならないという典型だ)
その(1906-07)シーズンの7番目のオペラは、トスカニーニにとって大事な作品、グルックの《オルフェオとエウリディーチェ》の再演だった。彼は、ベルリオーズやワーグナーと同様に、歌劇に於けるグルックの先駆的な独創性に敬服していた。しかし、ミラノの聴衆は、18世紀の遺物と考えられたものにおおむね退屈し、或る批評は、語呂合わせの見出し、「スカラ座のモルペウス(夢の神)」を誇示した。《オルフェオ》は2回しか上演されなかった。
~ハーヴィー・サックス/神澤俊介訳「トスカニーニ 良心の音楽家(上)」(アルファベータブックス)P244
トスカニーニの天才と先見は19世紀の大音楽家にも通じるものだ。
1907年のスカラ座に於けるグルックの《オルフェオとエウリディーチェ》の制作に対する煮え切らない反応にくじけず、トスカニーニは1909年12月、メトロポリタンでその作品の新しい制作を指揮した。彼は、グルックの序曲を外し—グルックの大崇拝者であるが、冒頭の曲を「信じがたい愚の一片」と述べたベルリオーズの意見に従った—グルックの他のオペラからいくつか挿入を行なった。《アルチェステ》からアリア、〈ディヴィニテ デュ スティクス〉〈三途の川の神々〉、《パリーデとエレーナ》から三重唱曲、そして、《エコーとナルシス》から合唱曲を入れた。
~同上書P313
トスカニーニの凄さは、こういうところにもある。つまり、聴衆に受け入れられなければ執着なくいくらでも改訂、改変するという気概もあるのだ。実に臨機応変。
トスカニーニは、《トリスタン》に先立って《魔笛》と《マノン・レスコー》の再演を行なった。そして、その後には、マスカーニの《イリス》とグルックの《オルフェオとエウリディーチェ》の新しい制作を指揮した。後者は、今や伝説的な二人のコントラルト歌手、メキシコ人のファニー・アニトゥアとローマ出身のガブリエッラ・ベサンゾーニがオルフェオ役として交互に出演し、フィレンツェ出身の若いソプラノ歌手、イネス・アルファーニ・テッリーニがエウリディーチェ役だった。彼は、15年前のメトロポリタンに於ける彼の《オルフェオ》制作で使ったのと同じカット及び加筆を利用した。
~同上書P484
グルックの「十字軍」たるトスカニーニの真面目。
(ちなみに、1946年録音の「精霊の踊り」はメロディのみであるが、後半部の思い入れはこちらの方が深く、リタルダンドの妙が味わえる)
そして、フルトヴェングラーにも優るとも劣らない熱気、あるいはクレンペラー以上に推進力誇るトスカニーニの指揮する「アウリスのイフィゲニア」序曲には、物語の悲劇性を助長する「歌」がある。
イタリアでの受容が進まない中での幾度もの再演は、巨匠の意地もあろうが、いかにグルックの音楽が未来音楽であるかを理解していたトスカニーニの(繰り返すが)先見であり、それゆえに創造された音楽は普遍的であり、また(真の意味で)楽天的なのだ。
(少なくとも僕の耳にはそう聞こえる)


