ムラヴィンスキーのショスタコーヴィチ「レニングラード」交響曲を聴いて思ふ

shostakovich_leningrad_mravinskyいかんせん録音が古いことが残念でならない。作曲者が度肝を抜かれたように、ここには「真実」がある。そして繰り返し聴く毎に計り知れない価値を知らしめられ、感動を与えられるのだ。

ドミトリー・ショスタコーヴィチはサモスードの演奏に納得せず、第5交響曲の成果からこの作品を真に立派に演奏できるのはムラヴィンスキー以外にいないと悟った。

彼(ムラヴィンスキー)の演奏で第7番を聴くことはどうしてもできないと言われている。彼ならどんなに見事に演奏してくれることだろう。サモスードは非常にうまく演奏してくれたが、ムラヴィンスキーの演奏で聴いてみたいものだ。
1942年3月31日付、ソレルチンスキーへの手紙
P141

これまで私の作品を演奏したオーケストラで、これほど私の理想を完全に満足させてくれたものはない。間違いなく、このオーケストラが最高の正確さで私の構想を表現してくれるだろう。
1942年7月4日付
P142

作曲者のこれほどまでに惹きつけるムラヴィンスキーの魅力とは何か?例えば第3楽章のヴァイオリンに導かれるロシアの古い民謡主題の何という切ない響き。あるいは後半に見られる管楽器を主とした底抜けの狂騒は、単なる力づくでなく、祖国が彼の戦争に勝利を収めるのだという強い意志と意気込み、そして希望が記されているようで、そのことをムラヴィンスキーはとても勇壮に表現する。

1942年7月9日のムラヴィンスキー&レニングラード・フィルによる演奏は圧倒的大成功を収めたらしい。ショスタコーヴィチは語る。

エフゲニー・ムラヴィンスキーの演奏は、私の交響曲に最も忠実なものである。
P142

偏見のかけらもなく完全な責任と献身をもって、この巨大な仕事をやり遂げた。彼は騒々しい戦争音楽の道具あるいは絵画的な描写を用いることに惑わされることなく(略)、この音楽にすべての感情、悲劇的な体験、熱烈な希望という素晴らしい抽象的なカンバスを認めている。
P142

後年、ムラヴィンスキーはこの作品を、どういう理由であるのかは定かでないがレパートリーからはずしている。実に腑に落ちない。それほどに凝縮された構築美と旋律に溢れ、しかも例によって金管群の壮絶な咆哮によって悲劇をすら感じさせる名演奏なのに。

ショスタコーヴィチ:交響曲第7番ハ長調作品60「レニングラード」
エフゲニー・ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団(1953.2.26録音)

フィナーレのコーダにおいて、第1楽章第1主題が回想されるシーンに心が躍る。何という緊張感に満ちた厳しさ!!しかし、それ以上に、終楽章前半の推進力の半端なさ。作曲者は卒倒したことだろう。

音楽学者のセルゲイ・シリフステインと一緒にトスカニーニの「レニングラード」交響曲の有名なレコードを聴いた時のことを振り返りショスタコーヴィチは語る。

いいかね、これは良く鳴ってはいるが、トスカニーニの解釈は全く評価しないし、受け入れられない。実際のところ、偉大な芸術家がその人の流儀で演奏するのは間違ってはいないが、作者の構想を害するものであってはならない。
P144

そして、別の機会には次のようにも言う。

私の交響曲に対する好意と心遣いを示してくれたソヴィエトと外国の指揮者たちに深く感謝する。しかし、作曲家として私が最も親近感を覚えたのは、エフゲニー・ムラヴィンスキーの指揮するレニングラード・フィルハーモニー管弦楽団の演奏である。
P145

正真正銘の、作曲者お墨付きの「レニングラード」交響曲に涙する。
嗚呼、それにしてもムラヴィンスキーがレパートリーから外すことなく、晩年の実況録音を残しておいてくれたら・・・。

※太字はグレゴール・タシー著、天羽健三訳「ムラヴィンスキー高貴なる指揮者」より引用

 


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