トスカニーニ指揮NBC響 R.シュトラウス 交響詩「ドン・ファン」(1951.1.10録音)

灼熱の「ドン・ファン」。トスカニーニの棒は相変わらず火を噴く。
しかし、これくらい生命力滾る方が、シュトラウスの壮年期の作品には見合っているだろう。
若き日のリヒャルト・シュトラウスの、いかにも人間臭い、血沸き肉躍る音楽は、ある種の浅薄さを感じさせるときもあるが、指揮者の志向に合致したときは実に聡明なる、凄演が生まれる。

最晩年のシュトラウスの創造力は、余分なものを削ぎ落した、簡素ながら濃厚な、とはいえ枯淡の境地を示す傑作群を生み出した。音楽芸術の神髄たる作品の瑞々しさ。

8月29日、見舞いに来た演出家ルドルフ・ハルトマンに、シュトラウスはこう語った。

私はもう十分にヴァーグナー作品を指揮してきたと思う。全体を正しく組み立て、ここぞという瞬間に加速できるかは、指揮者の裁量にかかっています。たとえば『ジークフリート』では、牧歌の後から終りまでは、目覚ましい活気がなければならない。ゆっくりしたテンポというのは、すべからく相対的に解釈されねばならないが、それができるのはごく少数の者だけです。特にブリュンヒルデが登場する最後の場面で、若いジークフリートが初めて抗しがたいエロティックな感覚に襲われるところは、とてつもなく重要です」。彼は生き生きとした様子でふいに起き上がった。「牧歌の後のどの部分が分かりますか?」。彼は答えを待たず、腕を上げて指揮しながら、大きな声でオーケストラのメロディを歌った。その顔はやや赤らみ、輝く眼は部屋の壁を超えたはるか遠くを見ていた。・・・リヒャルト・シュトラウスは再び枕につき、その眼に涙を浮かべていた。「許していただきたい、こうして寝たきりで考えごとをしていると、少しばかり感傷的になるのです」。
田代櫂著「リヒャルト・シュトラウス—鳴り響く落日」(春秋社)P396

最後の時が刻々と迫る中、老巨匠の脳裏にあったのはおそらくそれまでの自身の人生の様々な非行に対する懺悔だったのだろうと思う。

シュトラウス青年時代の数々の過ちを投影するであろう音楽作品を、いかにもリアルに表現し切るトスカニーニの慧眼と指揮能力に舌を巻く。ここには浪漫はなく、冷徹な、突き放したような厳しさがある。

リヒャルト・シュトラウス:
・交響詩「ドン・ファン」作品20(1951.1.10録音)
・交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快な悪戯」作品28(1952.11.4録音)
・楽劇「サロメ」から「7つのヴェールの踊り」(1939.1.14Live)
ワーグナー:
・楽劇「神々の黄昏」から「夜明けとジークフリートのラインへの旅」(1941.3.17&5.14録音)
・ジークフリート牧歌(1946.3.11録音)
アルトゥール・トスカニーニ指揮NBC交響楽団

「ドン・ファン」も「ティル」も最高の名演奏の一つだ。しかし、それ以上に素晴らしいのが、おそらくトスカニーニの最も脂ののった時期であろう1939年に録音された「7つのヴェールの踊り」。どこかオリエンタルな響きを醸す名曲が、冒頭、まるで様子をうかがうかのように頼りなく鳴り響くも少しずつ妖艶な肢体を表すように勢い増し、これほど芯のしっかりした舞踊音楽として研ぎ澄まされるのだからトスカニーニの腕は確かだ。

9月8日午後2時12分、ガルミッシュの質素な鉄製のベッドで、リヒャルト・シュトラウスは家族に見守られながら、静かに息を引き取った。訃報はその日のうちにラジオで伝えられ、94歳のバーナード・ショウは、涙にくれながらピアノで『アリアドネ』の一節を口ずさんだという。
~同上書P397

トスカニーニの指揮するワーグナーももちろん素晴らしい(何より「歌」がある!!)。
揺るぎない意志が通底する「夜明けとジークフリートのラインへの旅」の強靭さ、そして、内側が生きる喜びに満ちる「ジークフリート牧歌」に恍惚。

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