ゲルギエフ指揮マリインスキー劇場管&合唱団 ショスタコーヴィチ 交響曲第2番ロ長調作品14「十月革命に捧ぐ」(2013.1.7&8Live)

「十月革命も私は街路で迎えた。その際、ある男(新聞記事を読むと、元巡査となっている)が、私の目の前で幼い子どもを射殺した。この悲劇的なエピソードは強烈に私の記憶に刻みつけられた。私は、その頃、ペトログラードに住んでいた。当時のあらゆる事件は生涯私の記憶に残っている。この時期について私ははるかに多くを伝えることができるだろうが、多くの場所を塞がないようにと書き散らした膨大な量の紙切れを焼き捨ててしまった」
ドヴォルニチェンコによると、ショスタコーヴィチは死ぬまで、元巡査に殺害された子どもは自分だったかもしれない、という感覚につきまとわれ続けたという。

~亀山郁夫「ショスタコーヴィチ 引き裂かれた栄光」(岩波書店)P24

ショスタコーヴィチを苦しめた、死の影の正体とは、このときの記憶であることに違いはないだろう。トラウマなど幻想であり、本来存在しないものだとアルフレート・アドラーは説くが、多くの人々がその幻影に振り回されてしまっていることは事実だ。
(音楽という実体のない芸術も、そんな負の要素から生み出され得るものだろうか)

ただし、すでに伝説と化した観のあるもう一つのエピソードの信憑性についても大いに注意してかかる必要がある。
1917年4月3日夜の11時過ぎ、ドミートリーは、学校の友人と誘い合ってネヴァ川の対岸にあるフィンランド駅に繰り出していった。ドイツ、フィンランド経由でスイスから帰還するレーニンと同志たち(カーメネフ、ジノヴィエフら)を駅頭に迎えるためである。封印された列車から降り立ったレーニンの姿を、プロジェクターの光が明るく照らし出すと、駅前広場にひしめく数千人の労働者や水兵たちの間からひときわ大きな歓声が湧き上がった。当時11歳のショスタコーヴィチも、その深いどよめきに加わった一人で、その夜、レーニンを見たといって「興奮して」帰宅したという逸話である。この「逸話」に対しては、作曲家自身が曖昧な態度をとり続けたため、いつの間にか真実として人口に膾炙するようになった。逸話が信憑性を得た理由の一つとして、当時の彼が学んでいたマリヤ・シードロフスカヤ商業学校が、ペトログラードでも指折りの名門校であり、二月革命の立役者ケレンスキーや、赤軍の指導者トロツキーの子息たちが学んでいたことが挙げられる。それはともかく、フィンランド駅に到着したレーニンは、翌4日にかけての未明、有名なバレリーナで皇帝の愛人クシェシンスカヤの旧邸へ向かい、封印列車の車内で用意した有名な「4月テーゼ」を演説した。

「臨時政府打倒!」
「すべての権力をソヴィエトへ!」
まさに革命の火ぶたは、この掛け声のもとに切られたといってよい。

~同上書P24-25

歴史のドキュメントを目の当たりにした当人の脳裏に残存する映像こそが、ショスタコーヴィチの音楽に通底するものだと痛感する。

ショスタコーヴィチのアバンギャルド。
革命後とはいえ、ソヴィエト社会にあって1920年代の芸術シーンは、西側以上に前衛的であったと解釈することができる。
革命10周年の記念に委嘱された交響曲第2番。

ワレリー・ゲルギエフを聴く。

左手が小刻みに震え、右手で音楽の細かいところまでもが絶妙に表現される様子は、ゲルギエフが全神経を尖らせてショスタコーヴィチの音楽に感応しているからだろう。

パリはサル・プレイエルでの収録。
20分ほどの単一楽章の音楽が、不穏な空気と喜びの音調に蹂躙される。
ある種不気味なアバンギャルドが世界を貫く。

冒頭部の「暗黒のカオス」を表現するのに、なぜこれほどの手間が必要だったか、と思わず首をひねりたくなる。しかしここにはたしかな理由があった。ショスタコーヴィチは改めて、教育人民委員のルナチャルスキーが革命音楽の理想として挙げたスクリャービンの存在を思い出したのではないか。たとえば彼の交響曲第5番「プロメテウス」はスコアを見ると、じつに45段にも及ぶ分厚いテクスチャーを形づくり、未完に終わった『神秘劇』ではそれが70段にまで膨らんでいた。しかも、「プロメテウス」で立ち上げられたドラマとは、いわゆる「原始霧」を思わせる深い混沌からのヒーローの誕生という、一種の創世神話を想起させるものだった。これから革命賛歌を書こうというショスタコーヴィチもまた、そうした創世神話に類した何らかのプロトタイプを意識していたのではないかと思われる。ところが、そのために与えられていた手がかりが、皮肉にもベズイメンスキーの凡庸な革命詩だったわけである。
~同上書P55-56

後世は、当然先師の芸術を参考にするものだが、後にも先にもない独自性を発揮した者こそが天才と言うのだろうと思う。体制に従順とみせながら、わかる人にしかわからないアイロニカルなショスタコーヴィチの二枚舌。それがまた、極限的な芸術的高みにまで昇華されているのだから奇蹟だ。

彼は、絶望的な状況の中で、常に陽気に、そしてユーモアたっぷりに踊った。
(まるで狂気であると思われる)

苦悩から勝利へ。ベートーヴェン的なテーゼを拠りどころにし、ショスタコーヴィチはあくまで前衛的に思想を表現した。

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