
ベートーヴェンの現実。
200年前の今頃、ベートーヴェンは経済的にも随分困窮の中にあったという。天才的な芸術家であろうと、作品が売れ、食べられないことにはどうにもならないようだ。
最後の弦楽四重奏曲群は、ロシアのガリツィン侯によって買い取られたが、支払いは長い間滞っていた。
「破産を何度ももたらすほどの莫大な損失により、またあなたに説明しかねるような他の状況により、不幸な状況に見舞われて、日常的な活動からも遠ざかるようになっていました。現在はロシアの奥地の田舎におりますが、数日中には参戦のためにペルシャに向けて出発することになっております[原注:ロシア・ペルシャ戦争(1826-28)]。その前にシュティーグリツ銀行に125ドゥカーテンを絶対に送る所存です・・・」
(1826年11月22日付、カズロフに居るガリツィン侯からベートーヴェン宛)
~大崎滋生著「ベートーヴェン 完全詳細年譜」(春秋社)P515
病床にあったベートーヴェンの心労たるや・・・、こういう事実が楽聖の寿命を縮めたであろうことが容易に想像できる。しかしながら、「煩悩即菩提」。悲喜交々すべての事象が稀代の作品群の創造の原動力になっていることも間違いではない。
大作曲家は後世に傑作を遺すために創作活動をしていたわけではない。彼はひとりの人間として生き、時代と対峙し、生活費を稼ぎ、その算段のなかで次に何を書こう、ならばこう書こう、と思索と試作を繰り返していたのである。具体的に言えば、コンサートを開いて自作を披露し収入を得ようとしても、人々を集めるということは社会的な問題であり、芸術家の創作意思とはまた別の次元である。作曲して出版し食いつないでいく、というのも社会的関わりのなかで営まれることである。作曲するとは、芸術家個人の内発的なものである(そもそもそれがなければ成立しないという意味において)だけではなく、そういった社会との接点をもって為される行為である。それが創作活動というものであり、いわば社会に向かって作曲するわけであるから、作曲内容(内発的に生みだされてきたもの)にも対社会意識といったものが反映されている。そして、これが内発でこれが社会関係といった区分ができるようなことではない。
~大崎滋生著「史料で読み解くベートーヴェン」(春秋社)P7
大崎さんの指摘はごもっともだ。
命が続く限り、僕たちは世のため人のために尽くしながら、そして生きねばならない。
ミッションやビジョンが明確であるほど、それは当然のことだ。
ベートーヴェンのミッションはやはり「皆大歓喜」にあったことは、「第九」や「ミサ・ソレムニス」の成立過程を覗くと明らかだ。
終楽章序奏には、「辛うじて得られた決意」と標記され、Graveで、「そうでなければならないのか?」、そしてAllegroで「そうでなければならない!」という動機を書き込んでいる。
後世は様々議論し、解釈も多々あるが、真面目に考えると、自身の命のあり方を、あらためて覚悟した一節であるように思う。
ハンガリー弦楽四重奏団の古い録音が、またこの対話(?)をさらっと、当然であるように「歌う」のである。もちろんベートーヴェンは余命半年もないことを知らない。
しかし、霊性は知っていたのだと思う。
