
中庸とは、善にも悪にも傾かない至善の状態をいう。(凡人には至難の業)
言い換えれば、それは絶対的な調和ということだ。
宇宙開闢以来、時と共に人々の心は乱れ、調和を失っていった。
本来、信仰というものは、人間ならば誰の心にも明らかに存在したものだが、言葉の発見と進歩(後退?)のおかげで利便性は上がったものの、それは失われていった。
聖書をよすがにして、あるいは仏典をよすがにし、世の人は世界の平和を、自身の安泰を祈ったものだ。しかし、言葉である以上そこには限界があった。言葉の認識の違いがぶつかりを生み、争いが頻発するようになったのだ。
言葉で平和の実現が無理ならば、ということで音楽が登場した(のかも知れぬ)。
聖なる音楽は、教会では聖歌として、あるいはミサ曲として表現され、俗界においては舞踊として表現された。
トマス・タリスは、イギリス王室礼拝堂付侍従としてヘンリー8世からエリザベス1世まで仕え、オルガニストも務めた人だ。イギリスの宗教改革期にあって、カトリックと国教会の両様の典礼音楽を作曲することになった彼の心の内はいかほどだったか。
真の信仰者に宗派は関係なかろう。そこには信仰あるのみゆえ。
(ウィリアム・バードはタリスの高弟だ)

「安息日が終わりしとき」、「使徒たちは口々に」、「名誉、徳、権力」は、1558年のローマ・カトリック典礼の終焉以前に作曲されたと思われますが、伝統的な形式に影響を与えた新しい作曲の方法を示しています。
「預言者エレミアの哀歌」は、2つのセクションが異なる旋法で書かれていることから、おそらく別々の作品であると思われますが、トマス・タリスの作品として、そしてチューダー朝の音楽全体において非常に高い位置を占めています。聖週間の最後の3日間の早課で歌われる聖歌は、16世紀にはイギリスと大陸の作曲家によってしばしば作曲されました。タリスは最初の2つの成果を聖木曜日に作曲し、慣習に則り、告知、詩節を区切るヘブライ文字、また聖務日課の一部として聖書のテキストと共に歌われる「レルサレム、レルサレム」というリフレインも作曲しました。タリスによる暗鬱な言葉の、強烈で深い哀感を漂わせる作曲は、チューダー朝初期の音楽の表現力豊かなスタイルの成功例の一つです。
20世紀半ばの表現様式の特長である、音節の使い方、旋律の歌わせ方を控えめにすること、対位法の展開方法、そして集中力を持続させることはむしろプラスの効果をもたらしているように思います。さらに、過分な感傷性が抑制されている分、音楽は一層力強いものに昇華されているのです。
ちなみに、オルガン曲「すでに陽は昇り」と「父よ、われを明らかにしたまえ」は、マリナー・ブック(1550年から1575年頃の写本集で、典礼用のオルガン音楽と声楽及び器楽作品を鍵盤用に編曲されたものが収められています)からのもので、「幻想曲」はオックスフォード大学クライスト・チャーチにある2つの写本に収録されています。
(フィリップ・ブレット)
過剰な感情を抑制することは、聖なる音楽を表現する上で必須だ。
「預言者エレミアの哀歌」の録音は、僕が1歳の頃のときのものだ。
特に、1960年代の録音に僕は感応する。
60年も前の録音が色褪せないのは、そこに人間的感情が極限的に排除されているからだろう。「テ・デウム」にもオルガン編曲の諸曲にも崇高な祈りがあり、言葉にならない幸福感がある。
死は恐れるものではない。そもそも生が死と一体であることを忘れてはならない。
輪廻のなかで生まれ変わりを繰り返してきた僕たちには真の故郷に還るためのパスポートがつに発行されるのだ。すべては喜びの中にある。

