
ウォルター・レッグの、デニス・ブレインを悼む言葉。
(デニスは、1957年9月1日に交通事故のため36歳で急逝している)
デニスがどのように成長したかは誰にもわかりません。彼の叶わぬ夢の一つは、偉大な指揮者と「ニーベルングの指環」を演奏することでした。また、もう一つの夢は指揮者になることで、彼はすでにその活動を始めていました。
友人として、芸術家として、そしてフィルハーモニア管弦楽団の比類なき至宝として、彼の死を深く悼みます。彼の芸術を思い出すと、思わず笑みがこぼれます。楽器を自在に操る彼の自信に満ちた姿と、オーケストラのレパートリーすべての難曲を、彼が何の心配もなく、まるで天使のように軽々と演奏するだろうと最初からわかっていて、その上で彼の演奏を聴く喜びに感嘆と感謝の念を込めて思わず微笑んでしまうのです。
フィルハーモニア管弦楽団が初めてリハーサルのために集まった日から、彼の最期の日まで、デニス・ブレインを首席ホルン奏者として迎えることができたことは、私の幸運でした。彼はかけがえのない存在ですが、彼の芸術と影響力は、ホルン演奏に永遠の足跡を残しました。
ところで、彼の父、オーブリー・ブレインは、30年前も前に、ホルン演奏において例外なく、むしろ常態化していた音の濁りやひっくり返りが、楽器の問題ではなく、演奏者の責任であることをわかりやすく証明してくれました。デニスはそれ以上のことを成し遂げたのです。彼は、モーツァルトの4つのホルン協奏曲をレパートリーに復活させ、シュトラウスの2つの協奏曲をレパートリーに定着させました。また、彼は現代の作曲家(ヒンデミットやブリテンなど)にホルンのための作品を書くよう促しました。そして、音楽に身を捧げた奏者の唇にかかれば、ホルンは、最も高貴で表現力豊かな楽器の一つであることを証明し、伝統として定着したのです。私たちは、二度と彼のような演奏を聴くことがないでしょうが、彼の模範によって世界中のホルン演奏の水準は計り知れないほど向上しました。
(ウォルター・レッグ)
カンテッリの「ジークフリート牧歌」を聴いて思ふ
レッグのお眼鏡に適ったデニス・ブレインのホルン。
様々な録音を聴く限りにおいて、その調和のとれた美しさにいつも僕は感動する。
レッグが言うように、果たして彼が長生きしていたら、未来はどうなっていたのだろうと思う。
K.375は1781年10月の作、そしてK.388(384a)は、1782年7月の作である。
ウィーンに出てまもなく、公私ともに多忙な中、生み出された対照的なセレナーデ。
いずれも、いかにもモーツァルトという、否、モーツァルトでなければ書けないであろう喜びと悲しみが錯綜する傑作。
心身の充実を思わせる変ホ長調K.375。
個人的には、第3楽章アダージョの、息の長い天国的な調べに心が動く。
そして、哀愁を湛えたハ短調K.388におけるアンサンブルの妙。
ここでデニスは、主張し過ぎず、他の楽器と見事に調和し、モーツァルトの音楽そのものを客観的に鳴らす。一瞬の不安を煽る(?)第1楽章アレグロ、そして、安寧の第2楽章アンダンテ。何と優しい音楽なのだろう。

