「間」や「空間」を活用することは大切だ。
というより、どんなに大変なときも、どんなに忙しいときも、余裕、遊びの部分をもたせることがいかに重要かをあらためて学んだ。

音楽でいうところの深い「呼吸」は余裕がないととれない。そして、同じく「間」というものが音楽を形成する。音のない瞬間があるからこそ音楽になる。ブルックナーの全休止、フルトヴェングラーの長い「間」、あるいはワルターのルフトパウゼ、いずれもその意味深い無音が悠久の音楽に必須のものとして認識される。

僕自身も、講義中、「間」を意識することで、オーディエンスとのコミュニケーションがよりリアルに活発になるという経験を何度もしているが、相手の呼吸を読むところにその秘訣があるように思う。やはりそれを受け取る側のことを意識し、流れを読み取ることが重要。呼吸を読むこと。それが「阿吽」につながるのだろう。

室内楽の楽しみ(それは演奏する方も聴く方も)はコラボレートする相手とのコミュニケーションにある。相手を感じることで新しい何かが生み出される。

ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ作品12
アンネ=ゾフィー・ムター(ヴァイオリン)
ランバート・オーキス(ピアノ)

全集からの1枚。
ムターとオーキスのコンビの特長は、呼吸が見事に合っている点だと僕は思う。元夫のプレヴィンのときより深い。何より「間」の取り方が素敵。それは、そもそもベートーヴェンの音楽の作り方にもあろう。例えば、第5交響曲第1楽章冒頭主題の最初の休符。音楽的専門知識のない僕にしてみればまったく意味不明の記号に過ぎなかったが、「ん、ダダダダーン」の「ん」には多大な意味があるのかも。ただし、どういう「意味」があるのかを他人に分かるように説明できるまでにはなっていないのが残念。どなたかわかるように教えてください。

若き日の楽聖の音楽には、ともかく「前進」という姿勢と囁きかけるような「愛」が感じられる。作品12についても然り。4月のぐずついた天気の日に、徐に取り出して聴くには良し。さて、明日も頑張ろう。

3 COMMENTS

雅之

おはようございます。
「呼吸」というと、宇野さんがとってもとっても好まれる話題ですね(笑)。

>音のない瞬間があるからこそ音楽になる。ブルックナーの全休止、フルトヴェングラーの長い「間」、あるいはワルターのルフトパウゼ、いずれもその意味深い無音が悠久の音楽に必須のものとして認識される。
>呼吸を読むこと。それが「阿吽」につながるのだろう。

・・・・・・阿吽(あうん、Skt:A – hum)は仏教の呪文(真言)の1つ。悉曇文字(梵字)において、阿は口を開いて最初に出す音、吽は口を閉じて出す最後の音であり、そこから、それぞれ宇宙の始まりと終わりを表す言葉とされた。

また、宇宙のほかにも、前者を真実や求道心に、後者を智慧や涅槃にたとえる場合もある。

次いで、対となる物を表す用語としても使用された。特に狛犬や仁王、沖縄のシーサーなど、一対で存在する宗教的な像のモチーフとされた。口が開いている方を阿形(あぎょう)、閉じている方を吽形(うんぎょう)と言う。

転じて、2人の人物が呼吸まで合わせるように共に行動しているさまを阿吽の呼吸、阿吽の仲などと呼ぶ。・・・・・・(ウィキペディアより)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E5%90%BD

>ムターとオーキスのコンビの特長は、呼吸が見事に合っている点だと僕は思う。
同感です。このコンビの実演に接したいと、かねがね思っています。

>「ん、ダダダダーン」の「ん」には多大な意味があるのかも。ただし、どういう「意味」があるのか

答えは簡単です。

上海太郎舞踏公司B performing 交響曲第5番『朝ごはん』.
http://www.youtube.com/watch?v=85tsnqc3jHM&feature=fvwrel

「朝ごはん」をいただく前に、食べ物の香りを味わいますよね。
それが、「ん」の部分なのです。 OK?

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岡本 浩和

>雅之様
こんにちは。
ということは、「ん」は事を起こす前の心構えのようなものと解釈していいんですかね(笑)。
いや、この音盤は知りませんでした。「王様」に匹敵する名盤だと推測します。

それにしても雅之さんの許容範囲の広さ、博学には舌を巻きます。
毎々ありがとうございます。

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