自制、自省、トゥーランドット

puccini_turandot_karajan.jpg外は生憎の雨。明日も続くらしい。今夜は大手町で1年数ヶ月ぶりにAと会う。ちょうど結婚して1 年が過ぎたらしいが、どうやら尻に敷かれているようで頭が上がらないらしい。否、というより随分「家政婦」扱いしているようで、そのあたりは叱責しておいた。ここのところ夫婦関係で問題に直面して相談を受けるケースが多い。大抵の場合、男性側が結婚するや人が変わったようにいかにも女性を軽んじて命令調になったり、優しさがなくなったりという状況で、双方の言い分を聞くと、男性の方に問題があることが多い。とはいえ、男性をそのような態度に豹変させる女性側に問題が全くないともいえないわけで(例えば男性を充分に愛さない、受け容れないなど)、世の中で起こるすべての事はフィフティ・フィフティーで、「喧嘩両成敗」ではないが、やはりお互いがお互いのせいにするのではなく自らを省みないことには治まるべきものも治まらないというものだろう。誰も悪い人はいない。自分自身を律し、相手を尊重する「想い」を思い出せば全ては解決する。

今日は朝から毎月恒例の「ベジタリアン料理教室」。すでに3回目になる。いつものようにK夫妻にお出ましいただき、いくつかのレシピを披露していただく。
今日の献立は「菜食ビビンバ」、「大根とベジ・ハムのサラダ胡麻ドレッシングがけ」、「大豆肉の鶏から揚げ」というもの。美味しかった。やはりSofaの食材、そして料理は最高だ。ちなみに次回は5月14日(水)に開催予定なので、ご興味ある方はエントリーください。

プッチーニ:歌劇「トゥーランドット」
カーティア・リッチャレッリ(ソプラノ)
プラシド・ドミンゴ(テノール)
バーバラ・ヘンドリクス(ソプラノ)
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
ウィーン国立歌劇場管弦楽団ほか

大手町への往復の電車の中でメーテルリンクの「青い鳥」を読む。あの童話「青い鳥」である。堀口大學の名訳で読むこの物語を侮ることなかれ。細かく読んでいくと今の現代社会のもつ問題解決にも通ずるヒントが随所随所に散りばめられていることがわかる。すでに1世紀も前に人間の傲慢さを指摘し、作家の哲学的考察が行間から読みとれるところが素晴らしい。ネコやイヌやパンまでもが登場するのだが、どういうわけかふと「トゥーランドット」を思い出した。ジャコモ・プッチーニの遺作となった未完の歌劇だが、舞台は伝説時代の北京。オリンピックを前にチベット問題で紛叫する中国だが、この国はとにかく問題が多い。この歌劇の主題が「愛」であるのとは正反対、まさに「我(が)」の国といってよい。一方のダライ・ラマ14世の自制を求めた声明はさすがといえる。自らを省みる結果のことなのだろう・・・。

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アレグロ・コン・ブリオ~第5章 » Blog Archive » ヴェローナの「トゥーランドット」!

[…] すみだ学習ガーデンさくらカレッジ第2期第9回「早わかりクラシック音楽入門講座」。 本日は2010年、アレーナ・ディ・ヴェローナでの「トゥーランドット」の公演を収録したBDをメインに講義を進めた。何といっても1年前に急逝したサルヴァトーレ・リチートラのカラフを拝めることが嬉しい。 2時間という尺の中で収めるため、第2幕の前半のみカットし、後は最初から最後まで鑑賞いただいた。20数年前の代々木での「アイーダ」の引っ越し公演に僕は触れているが、その時以上の本場の桁外れのスペクタクルが圧倒的スケールで迫ってくる。大画面、そして大音量で観るオペラの醍醐味。もちろん生には敵わないが、それでも参加者の手に汗握る様子、感動の心持ちが僕の方にも如実に伝わってきて、日本人というもの、オペラ、特にイタリア・オペラのカンタービレにシンパシーを感じるものなんだとあらためて確認させられた。 そういう僕も、音響チェックに講座前にカラヤン&ウィーン・フィルの録音で第3幕冒頭を聴いてみたのだが、いや、30年前の録音とは思えない鮮明かつ重心の安定した演奏で、これは当然カラヤンの音楽づくりそのものの影響も多分にあるだろうゆえ、カラヤンという指揮者の凄さについても再認識させられたので、そのことも良かった。 […]

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