朝比奈のマーラー

大学の講義で、2ヶ月前に石巻市に支援活動に行った話をしたら偶然彼地出身の学生がいた。家族親戚縁者に不幸はなかったらしいが、自宅は津波で1階部分が浸水、両親らは2階を住居にして暮らしているのだと。自分自身も、車で逃げる際津波に恐ろしいまでの勢いで追いかけられながら九死に一生を得たそう。運良く生き延びた、そんな体験をした若者がいるかと思えば、そんな事態があったことすら忘却の彼方という若者もいる。そう、半ば他人事になっている人もいれば、今も被災地にボランティアに出かけるという人もおり、今や東京では相当な温度差がある。此の地は本当に「不思議な」ところである。

3年生対象の「インターンシップ講座」だったゆえ、インターネットや机上のみで就職活動をするのではなく、具体的に行動することの大切さを説こうとついつい口から出た例だったが、心に響いた学生もいたようだから良かった。新卒の就職状況は決して楽なものではないが、今の時期から一歩一歩愚直に行動を起こしていけば「備えあれば憂いなし」である。がんばってほしい。

ところで、「愚直」という言葉からまたしても朝比奈先生のことを思い出した。ここのところ、メンデルスゾーンやマーラーなどユダヤ系の音楽家の作品を中心に聴いているが、久しぶりに朝比奈隆のマーラーでも聴いてみようか・・・。

マーラー:交響曲第7番ホ短調「夜の歌」
朝比奈隆指揮大阪フィルハーモニー交響楽団(1981.7.28Live)

30年前の東京文化会館での実況録音。いわゆる大フィル東京定期の模様を収めた音盤である。僕がようやく朝比奈隆の芸術に目覚め始めた、ちょうどあの頃の演奏であることがまず懐かしい。高校生の僕はもちろんこの実演には触れていない。マーラーの第7交響曲という作品すら未知のものだった。確か同じ頃。大阪のフェスティバルホールで朝比奈先生によるマーラーの第3交響曲公演のポスターを見た。残念ながらその公演には行けなかったが、あの時期朝比奈隆はマーラーの作品を頻繁に採り上げていたんだ・・・(ちなみに、本公演のわずか2週間後にはカール・ベームが亡くなる)。もう30年も経過するのかと考えつつも、その当時のことがリアルに蘇る。最も多感で、マーラーやブルックナーやフルトヴェングラーや・・・、数々の天才音楽家に興味を抱き、寝ても覚めてもクラシック音楽のことばかり思っていたあの頃。

ところで、肝心の演奏。朝比奈らしい、まさに「愚直」に真正面から取り組んだ一期一会のマーラー。素敵。一般的にあまり舞台にかけられることがない作品であることが残念だが、マーラーの交響曲の中でポピュラリティを得ている(分裂的な)「第5」以上に実にマーラーらしい傑作だと僕は思うし、そのマスターピースを朝比奈は不器用な棒ながら極めて「統一感」を意識して演奏する。余白に収録されたリストの交響詩「前奏曲」も良い。70年代から80年代前半にかけての朝比奈隆は極めて挑戦的であり、晩年にはもはや採り上げることのなかった様々な音楽を聴かせてくれたよう。当時を知る愛好家が羨ましい。


7 COMMENTS

雅之

おはようございます。

>今や東京では相当な温度差がある。此の地は本当に「不思議な」ところである。
いろんな意味で汚染された東京の人を哀れみます。お気の毒さま。
これは3・11前には決して持たなかった感情です。
でも、世界から見たら、もはや日本全体がそうです。

マーラー:交響曲第7番は、マーラーの最終理解の曲だと思います。ブルックナーでいえば交響曲第3番のような・・・。

交響曲第7番を語る前に、最近のメンデルスゾーンやマーラー:交響曲第5番の話題について、
もう少し考えてみたいです。
そこで、今朝は興味深い事実関係を列挙してみます。マーラー:交響曲第3番作曲の背景あたりから・・・。

・・・・・・このような多忙さもあって、マーラーはウィーンへの進出を図るようになる。1895年から翌1896年の7月、マーラーはバート・イシュルで避暑中のブラームスを訪れ、その知遇を得ようとした。当時のウィーンの楽壇を二分する音楽勢力としてはワーグナー派に属するマーラーであったが、ブラームスからは道徳的立場からの支援をとりつけることに成功した。この交響曲の第1楽章冒頭で、8本のホルン斉奏によって呈示される主題は、ブラームスの交響曲第1番の有名なフィナーレ主題や『大学祝典序曲』との関連が指摘されており、あるいはブラームスへの讃辞などなんらかの意図が含まれていることも考えられるが、真相は不明である。

マーラーの前に立ちはだかったのは、ブラームスではなく、すでに故人となっていたワーグナーであった。ワーグナーが唱えた反ユダヤ主義が、ユダヤ人音楽家であるマーラーのウィーン進出の障害となったのである。マーラーは、ハンブルク歌劇場で親交のあったソプラノ歌手アンナ・フォン・ミルデンブルク(1872 – 1947)の説得もあり、1897年2月23日にユダヤ教からローマ・カトリックへと改宗し、同年5月11日、念願のウィーン宮廷歌劇場の音楽監督の座に就く。・・・・・・ウィキペディア 交響曲第3番 (マーラー) より

ハンブルク歌劇場では、新しく採用された23歳のドラマティック・ソプラノのアンナ・フォン・ミルデンブルクにマーラーが激しく恋し、これにマーラーの妹ユスティーネが嫉妬( 参考 船山 隆著  マーラー、カラー版作曲家の生涯、1987年 新潮文庫  )

・(ブラームスは)根っからのドイツ人なれど、実はユダヤ人だった?(有馬茂夫氏による説)
ブラームスの出生地(生家はハンブルクのユダヤ人居住区にあった?)や、父祖の職業と名前(ユダヤ人しか付けないような旧約聖書に基づいた名前が多く、「ヨハネス」もそう)、交友関係(なぜかユダヤ系やそれと関わりの深い人物が多い)、風貌や生活様式(あの特徴的は髭はユダヤの戒律によるもの?)などから、彼はユダヤ人だったのではないかとの説があります。 ・・・・・・下サイトより
http://kcpo.jp/legacy/31st/Brahms/brahms0.html

・・・・・・マーラーは1895年夏にシュタインバッハでこの《交響曲第3番》を書き始めたが、現在は6楽章からなるこの交響曲は実は当初は7楽章で構想された。
また、《交響曲第2番》と同様に各楽章には標題的な扱いを考え、曲全体に対しても「牧神あるいは快楽の科学(ニーチェ)または、真夏の夜の夢(シェークスピアの著作とは関係なく)」と呼ぼうとした。(”真夏の夜の夢”に関しては後の”真夏の朝の夢”ともした。)・・・・・・下サイトよりhttp://homepage3.nifty.com/classic-air/database/mahler/mahler_sym_3_f.html

マーラー:交響曲第5番の作曲は1901年夏~1902年夏。
この曲を作曲していた1901年秋にマーラーはアルマと出会い、翌02年3月10日(アルマの回想録では9日)に結婚、翌日にはマーラーの妹ユスティーネも、ウィーン・フィルのコンサートマスターだったアルノルト・ロゼーと結婚している。

・・・・・・交響曲第5番を完成した翌1903年2月21日、マーラーは、ワーグナー没後20周年記念の楽劇『トリスタンとイゾルデ』上演に当たり、前年に出会ったウィーン分離派の画家アルフレート・ロラーを舞台装置家兼演出家として起用、伝説的な成功を収めた。ロラーは6月1日にウィーン宮廷歌劇場と専属契約を結び、以降、マーラーとロラーのコンビは新演出によるオペラ上演を次々に生み出していく。・・・・・・・(ウィキペディア 交響曲第6番 (マーラー) より) 「元カノ」ソプラノ歌手アンナ・フォン・ミルデンブルクはイゾルデを歌っていた。

マーラー:交響曲第5番の初演は1904年10月19日(18日とも)。ケルンにてマーラー自身の指揮、ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団による。この年の夏、マーラーは交響曲第6番を完成させ、交響曲第7番の二つの「夜曲」(第2楽章と第4楽章)を作曲済みだった。

マーラー:交響曲第5番の楽譜出版は初演後の1904年12月、ライプツィヒのペータース社から出版された。

ユダヤ、メンデルスゾーン姉弟、(ブラームス)、マーラー:交響曲第3番と「真夏の夜の夢」(シェークスピア)、アンナ・フォン・ミルデンブルクとの恋と彼女の説得によるユダヤ教からローマ・カトリックへの改宗、妹ユスティーネの嫉妬(マーラーの兄妹関係)、交響曲第5番、アルマ、「葬送行進曲⇔結婚行進曲」、〈アダージェット〉、ワーグナー:「トリスタンとイゾルデ」・・・、

そうしたキーワードから見えてくるものとは?

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雅之

・・・・・・マーラーは1895年夏にシュタインバッハでこの《交響曲第3番》を書き始めたが、現在は6楽章からなるこの交響曲は実は当初は7楽章で構想された。
また、《交響曲第2番》と同様に各楽章には標題的な扱いを考え、曲全体に対しても「牧神あるいは快楽の科学(ニーチェ)または、真夏の夜の夢(シェークスピアの著作とは関係なく)」と呼ぼうとした。(”真夏の夜の夢”に関しては後の”真夏の朝の夢”ともした。)・・・・・・下サイトより

http://homepage3.nifty.com/classic-air/database/mahler/mahler_sym_3_f.html

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岡本 浩和

>雅之様
こんばんは。

>マーラー:交響曲第7番は、マーラーの最終理解の曲だと思います。ブルックナーでいえば交響曲第3番のような・・・。

おっしゃるとおりですね。地味でありながらこれほど深い理解を要する音楽はありません。

ところで、羅列いただいた情報とキーワードについて。研究すればするほど、知れば知る程奥が深い問題だと思います。まずは長い間迫害を被ってきたユダヤ人とユダヤ思想についてよく知る必要があろうかと思います。メンデルスゾーンとマーラーについての関連などもそのあたりが理解できてようやくスタート地点に立てるのではないかと・・・。

しかしながら、メンデルスゾーンとマーラーというのは相当に似通った部分がありますね。
ついつい見落としがちな点だと思いますが、興味深いです。

>そうしたキーワードから見えてくるものとは?

少しお時間ください。ピンとくるものがあるかもしれません。

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岡本 浩和

>雅之様
こんにちは。
全ての問題がユダヤ問題と地続きだとするなら、ユダヤそのものには明暗も陰陽も、真実も嘘もすべて含まれるのだと思います。挙げていただいたキーワードは、互いに相対するものですよね。愛も憎悪も表裏一体。ひょっとするとこの世界はユダヤ無くして生まれ得なかったのではないでしょうか。旧約聖書がそのことを物語っているようにも思えます。
この問題、やはりもう少しお時間ください。

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雅之

>ユダヤそのものには明暗も陰陽も、真実も嘘もすべて含まれるのだと思います。

おっしゃるとおりですね。
ユダヤでなくても、私達も無意識のうちにそうなんでしょうね。

で、あるからこそ、
「私が愛を語ること」ではなく、
最終的にその標題は破棄されたものの、マーラーが交響曲第3番の終楽章に名付けた、
「愛が私に語るもの」という言葉が、説得力を持って響きます。

「そうしたキーワードから見えてくるものとは?」の答えも、
「愛が私に語るもの」にしたいです(笑)。

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岡本 浩和

>雅之様
こんにちは。

>「私が愛を語ること」ではなく、
>「愛が私に語るもの」という言葉が、説得力を持って響きます。
>「そうしたキーワードから見えてくるものとは?」の答えも、
「愛が私に語るもの」にしたいです

確かに!同感です。
勉強になりました。ありがとうございます。

とはいえ、この辺については今後も研究・追究していきたいと思っております。よろしくお願いします。

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