古びた思い出

本日未明被災地から戻った。日常と非日常の狭間にいたかのような、何とも表現し難い瞬間。体験したことを逐一ブログ上で報告できればよいのだが、何とも言葉にできず、そういうことがまったくナンセンスにも思われ、どうにも筆が進まない。いろいろと気づきがある中でひとつ感じたことは、決して厭世的な意味ではなく、すべてが「幻」だということ。思い出すらも形にして残す必要がなく、もちろん使わない無用の長物を保存しておく意味もなく、すべては今この瞬間に自分の内にあるということのみ。

一昨日、瓦礫の山と化した町中のとある一軒の水浸しになった家具や調度品の一切を戸外に運び出す作業をお手伝いした。家電製品のほか、昔から大事にとってあった雑誌類や図鑑などの大書までが使い物にならない状態。主にこれはどうするか尋ねると、そんなものがあったことすら知らなかった、否、覚えていなかったと言う。そう、何年も使用していない物のことは人間誰しも忘れてしまうもの。そんなものを大事にしまっておいてどうするつもりなのか・・・、自分事のように考えさせられた。着ない洋服や使わないバッグ類も山ほど。これらはもちろん処分するしかない。そして、泥にまみれた思い出のアルバム類。これすら主はもう要らないという。確かに・・・。とっておいても写真など頻繁に見返す人などそうはいまい。思い出は心の内にしまうべし、そんなことを説かれているかのようにも思えた。

必要最小限のモノで生活をする。そしてただ今を懸命に生きる。それも自分のためだけでなく他人のためにどれだけ一生懸命に生きられるかがこれからの時代のキーワードではないのか。本夕先日のセミナーの理論講習を開催し、受講生を前にそんなことも考えた。拘り、そして欲。それらすべては大切なことでもある。でも、過剰にならないよういつも客観的にチェックできる目を持つこともやっぱり重要・・・。

シュナーベル:弦楽四重奏曲第3番
ギーレン:弦楽四重奏曲「古びた思い出」
ラサール弦楽四重奏団

タワーレコードのヴィンテージ・コレクションからの1枚。いずれもラサール四重奏団らしい峻厳かつ繊細な表現で、聴く者を金縛りにするような力が漲る。特に、今の僕にとってはギーレンの作品が心を打つ(第4楽章「白鳥」は、ボードレールがユゴーに捧げた詩の一節を素材にし、語りが挿入される)。

二度と、二度と戻りはしないものを失った全ての者たちを!涙によって渇きを癒し、養母の狼のように「苦悩」に乳を与える者たちを!花のように萎れていく痩せた孤児たちを!

こうして我が精神が森の中を彷徨うなか、懐かしい「思い出」が、角笛を胸一杯に吹き鳴らす!私は思う、とある島に忘れられた船乗りたちを、捕虜たちを、敗北者たちを・・・そして他の多くの者たちを!
~シャルル・ボードレール「白鳥」からの一節

筋肉痛が激しい。気がつかない内にストレスも随分抱えたかも。

7 COMMENTS

雅之

おはようございます。
お疲れさまでした。
今回の岡本さんの行動、頭が下がります。敬意を表したいです。

>そして欲。それらすべては大切なことでもある。でも、過剰にならないよういつも客観的にチェックできる目を持つこともやっぱり重要・・・。
今回の大震災と原発事故により、我々はあらゆる意味で文明の岐路に立たされていますよね。

話は変わるのですが、震源から遠く離れた、ミューザ川崎の天井崩落にも驚きました。
http://resolutely.blog6.fc2.com/blog-entry-230.html
ここでも巨大地震のエネルギーの凄まじさを思い知らされました。

ご紹介の盤も曲も、残念ながら未聴です。
代わりに、岡本さんのブログ本文を読み、
被災地の復興を願い、何故か下のCDを取り出し聴きたくなりました。

弦楽四重奏曲第8番、他~ 言葉と音楽 「広島」から60年
アンサンブル・インセンド
 ナカタ・チホコ(朗読)
 ガブリエラ・クリスピーノ(朗読)
 トーマス・フォン・フラクシュタイン(朗読)
http://www.hmv.co.jp/product/detail/1382580

広島にはもう20年くらい前の独身時代、2年ほど住んでいたことがあります。
原爆の破壊により、ゼロから復興した広島は、
人々の温かさに溢れる、素晴らしく魅力的な町でした。

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岡本 浩和

>雅之様
こんばんは。
今回は本当にいろいろと学ばせていただきました。いずれお会いした時にでもお話したいと思っています。

>ミューザ川崎の天井崩落
これは知りませんでした。驚きです。ご紹介の盤も未聴です。これは是非とも聴いてみたいと思いました。
広島には中学生の時に行ったきりです。久しぶりに訪れてみたいという衝動に駆られます。

>ゼロから復興した広島は、
人々の温かさに溢れる、素晴らしく魅力的な町でした。

人は挫折や災難を経験して一回りも二回りも大きくなるんですね。
こういう言い方をすると語弊があるかもしれませんが、未来の日本のために今回の経験は必要だったのかもしれません。一層力が漲ります。
本日もありがとうございます。

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