SP録音期のフルトヴェングラー

今夜の東京は大雨のせいか随分と涼しい。
蒸し暑さは変わりないが、バケツをひっくり返したような雨がこれだけ降ると、いろんなものを洗い流してくれるようで気持ち良い。

昨夜、遅くまで飲んでいたので本日は少し二日酔い気味でスタート。
それにしても世の中には吃驚するようなことが多い。
同じようなことを同じタイミングで考えたり、行動したり。

いろんなことを考えた。根気って大事だなとか、静観し、時が経過するのを待とうとか。
それに、どんな瞬間も必要な人が目の前に現れ、必要な情報をきちんとくれるということを痛感。

DGの「SP録音期のフルトヴェングラー」から1枚目を。

・メンデルスゾーン:劇音楽「真夏の夜の夢」序曲作品21
・J.S.バッハ:管弦楽組曲第3番ニ長調BWV1068~第2曲エアー
・シューベルト:劇音楽「ロザムンデ」D797~バレエ音楽第2番
・ワーグナー:歌劇「ローエングリン」~第1幕前奏曲
・ワーグナー:楽劇「トリスタンとイゾルデ」~前奏曲と愛の死
・シューベルト:劇音楽「ロザムンデ」D797~序曲
・R.シュトラウス:交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」作品28
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

いずれも1929年~30年の録音。ナチスが台頭する以前のドイツの、煌びやかで浮かれたような世相とは裏腹の、ずっしりと重く暗い印象を与えるフルトヴェングラーの演奏は、来るべき悲劇をまるで予感しているかのよう。バッハのエアーなど、どうしようもなく厭世的で、聴く者の涙を誘う。

さて、明日はまた「天職発見講座」。あらたなコンテンツを提示し、ご参加いただける方に満足のゆくものにしよう。


2 COMMENTS

雅之

こんばんは。

>いずれも1929年~30年の録音。ナチスが台頭する以前のドイツの、煌びやかで浮かれたような世相とは裏腹の、ずっしりと重く暗い印象を与えるフルトヴェングラーの演奏は、来るべき悲劇をまるで予感しているかのよう。

今回もまったく同感です。偉大なアーティストは、時代の予感や空気を察知するセンサーが、人並外れているんだと思います。

山下達郎の新しいアルバム 『Ray Of Hope』を買いました。詳しくは申しませんが、今という時代だからこそぜひ聴いていただきたい、素晴らしい作品です。お薦めです。

タワーレコードの彼のインタビュー記事がとても興味深いので、長いですが引用します。

「このアルバムは1年遅れて、『Ray Of Hope』になって本当に良かった。自分が原点に揺り戻された感じ。」

「歌は世につれる。という事。第2次大戦が無かったらおそらくロックン・ロールは生まれていないとか、モダン・ジャズなんかは違う形、違う運動になっていたかもしれないという事ですよね。日本もそうで、映画、音楽、文学などすべて、社会的な騒乱、自然災害など大きな騒乱があったあとに文化には大きな変革が訪れる。日本のロックとかフォークに関しても、70年代安保を抜きにしては全く考えられないものなのでね。ここで言う「来るべきものが来た」とか「これからは違う」というのは、あくまで僕個人の話です。僕がやってきたようなスタイルっていうのは、この30数年、日本が基本的には平和でいたので持続することができた。しかし(震災を踏まえ)必ずこの先数年間で、音楽に限らず文化的に大きな変化が訪れ、10代や20代から、発想の違う文化表現をする人が出てくる。そうなると僕らは、例えば、ビートルズ以前の歌謡曲であるとか、そういった見方をされる時代が来る。という事を言いたかった。その状況下で自分の表現をどうするかって事を考えなきゃいけないんだけど、僕もあと2年で還暦だからね(笑)。でもそういう時代の音楽を必要としている僕のリスナーっていうのは必ず居るので、そういった人たちが、文化的に取り残されるとか、孤立感を味わわないように、自分の音楽のポテンシャルを下げないように努力しないとダメだという事ですね。」

「世の中でこういった大きな事が起きると、それが音楽の質を変えるから。それは(我々の音楽が)否応無く過去の物として見なされていく必然である。僕らはもうトレンドじゃないし、時代と連関していないし。だけど、その中で何が残って何が残せないのか。っていうのを考えていかないとただの懐メロ・ミュージシャンにしかならない。過去にヒットがあり、懐メロ化して行くというのがあるでしょう。ディナー・ショーや酒を飲むクラブなんかで行われたりする音楽の中には、全盛期のパッションはなくて「いやー、あの頃は良かったね」というようなショーがありますよね。僕はそういうのは絶対やりたくないんです。文化表現としての音楽、それをこれからどうするかっていうのを考えなきゃなっていう事。」

「僕が70~80年代でやっていた事は今から見れば懐メロですよ。それを懐メロとしてのパッションでやるのか、今を生きている58歳の人間のパッションで表現するのかということで全く違う。60を目前にしてどういう事をやろうかというヴィジョンの中で、3年前からライヴを再開してコンスタントに続けています。そういった活動で僕にとって理想的な人は例えばヴァン・モリソンであったり、ニール・ヤングであったり。僕のホントの意味での理想はディオン・ディムーチっていう、50年代ドゥー・ワップの大スターがいるんだけど、この人は今、72歳だけどエネルギーが全く衰えてない。今ドゥー・ワップのショーなんか観たらほとんどが懐メロ・ショー。「あの頃は最高だった」なんていうね。でもわずか、何人かは居るんだよね。今でも全く変わらぬパッションと声量でドゥー・ワップを歌える人が。そのうちの一人がディオンなんだけど、そういう人に私はなりたい(笑)」

「作家主義をやめました。『COZY』や『SONORITE』というのは作家主義に走りすぎて、すごくバラバラになったと感じていて、こういうのもやりたい、ああいうのもやりたい、シンガーとしてやれることをやっておきたいと。それは老いに対する懸念もあってね。前2作の教訓は、自分に求められている事は何か? を考えて、やっぱり始めた場所に戻って行こうと。だから自分のキャラに合わないことは今回やってないんですよ。結果このアルバムのトータリティが保持できたかなと。当然の事って言えば当然なんだけど(笑)。あえてそうしてます。他にも録音環境の事とかライヴの事とか多くの要因が作用しているんですけどね。」

「もうちょっとアップ・テンポで、ジャングルビートの曲なんかもあったんだけど、今の時代の空気にそぐわないと判断して、やめました。詞をちょっと手直しした曲もあって、なるべくネガティヴな内容の歌はやめて、全体的にポジティヴなものにしようという努力はしました。最終的に『WooHoo』っていうタイトルもやめて、1年遅れたけど、『Ray Of Hope』にして本当に良かった。自分が原点に揺り戻された感じですね。あの地震が与えた影響は本当に大きかった。それ以前にも不況が続いていて、色々と考えてはいたんだけど、今回の震災はそれとは全く違う問題ですからね。」

http://tower.jp/article/interview/80831

フルトヴェングラーと達郎。
ジャンルと時代は違えど、二人とも懐古志向ではなく、今その瞬間を生きるパッションへのチャレンジ精神が、何だかとても共通していると思われませんか? 生き方として見習いたいです。

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岡本 浩和

>雅之様
おはようございます。
そういえば、達郎のニューアルバム発売されてましたね。
現時点で僕は未聴ですが、ご紹介の文章を読んでみてすぐにでも聴いてみたくなりました。

>今その瞬間を生きるパッションへのチャレンジ精神

やっぱりこれですよね!過去でも未来でもなく、「今」です。
ありがとうございます。

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