宗次ホールでの新井康之さんのリサイタルが相当に良かったのか、ショパンの室内楽曲が収録された音盤を引っ張り出してきて、久しぶりに聴いている。例えば、最高傑作の名に相応しいチェロ・ソナタ。以前、トリフォニー・ホールでピリスとゴムツィアコワの名演を聴いているはずなのだが、あの時は演奏者の醸し出す得も言われぬ圧倒的な存在感と演出豊かな会場の雰囲気に飲み込まれていたのか、残念ながら記憶が消し飛んでしまっている。それより何より、今回の新井氏の柔らかでかつ軸のしっかりした音色に彩られた音楽に実は打ちのめされていたようで、この稀代の名曲の真の姿がやっと少しわかったような気がしてともかく嬉しい。確かに、余命僅かの自身へのレクイエムという見方が一般的なこの音楽だが、今回の実演からは、そうではなく明るい未来へ希望と抱負を託した、そんなショパンの生命力と「まだまだ死ねぬ」という気概が感じられた。それすらひょっとするとシューマンの「夢想」に毒づけられてしまった(苦笑)僕の勝手な「空想」かもしれないけれど・・・。
ポジティブ心理学研究会定例勉強会に参加した。研究発表者は愛知とし子。ポジティブ思考をより効果的に使うには、音楽を聴き、感情表現を豊かに表出することがそもそもなのだと。なるほど、実体験に基づく話は興味深い。
晴香葉子先生からご推薦いただいた「πの本」(暗黒通信団)が妙に面白そう。円周率の100万桁までをただただ印刷してあるという本らしい。晴香先生はその本を見ているだけで、発想が閃くのだと。うーん、欲しい(笑)。
なるほど、「閉じられているということはそもそも無限だ」ということだ。音楽に永遠を感じるのも、ある一定の法則のもとに作曲家が楽譜に認め、「閉じられている」からだろうか。「円」という神秘、その昔、楽譜は円だったという話もどこかで聞いたことがある。興味深い。
モーツァルトの疾走する哀しみト短調の調性に、与えられた作品番号が無限大を表す「8」。そして開放的なハ長調に調和の数字「3」。うーん、こうなるとチェロ・ソナタの65という作品番号の意味が気になるが・・・(笑)、特に意味はない。これも僕の勝手な空想、妄想、お許しを。しかしながら、若書きの作品においても死期近づいた頃の作品においても「無限」を感じられるのは、ショパンに限らず「天才」と呼ばれる作曲家にのみ与えられたものだろう。
嗚呼、永遠よ・・・。
おはようございます。
白状しましょう。私がショパンのチェロ・ソナタにハマったきっかけは、15年くらい前に、渡辺和彦 著「ヴァイオリン/チェロの名曲名演奏」(音楽之友社 1994年第一刷発行 現在絶版か?)を読んで推薦CDを集めて聴きまくったことでした。
※同書より
チェロ・ソナタト短調作品65
これはショパンの本当に数少ない室内楽作品だ。とはいっても「ピアノの詩人」の作品。チェロと同じくらいピアノが活躍する。
チェロ・ソナタは、ショパンとジョルジュ・サンドとの恋愛(1837年頃から46年まで)が終わる直前に作曲が進められ、全曲が完成した1847年には、ふたりの関係は完全に破綻していた。ショパンの名作のほとんどはサンドとの生活の中で生まれ、破綻後の晩年約3年間は、わずかな例外的傑作(「幻想曲」など)を除いて、その数が激減し、質も急降下してしまう。この曲も、これまでほとんど「駄作」とされ、カザルスなどは決して手掛けなかったし、現在もリサイタルで弾かれることは多くない。しかし最近、名チェリストが次々と録音を初めている。じっさいこれはショパンの晩年を記念する作品で、その暗い情熱の高まりは素晴らしく、チェロの技巧も存分に発揮されている。第1楽章などいつものショパンの癖で、再現部が(第1主題ではなく)第2主題で始められる構成も独特だ。彼はショパンの友人のチェリスト、オーギュスト・フランショーム(1808~84)。彼はショパンが最も親しく交際したフランス人だった。ただ、第1楽章は一般公開の前から他の友人たちに全く理解されず、1848年2月16日の初演(ショパン最後のパリでの公開演奏会)の際は、何と第2楽章から第4楽章だけが演奏された。
●ロストロポーヴィチがマルタ・アルゲリッチと共演した録音の出現によって、この曲に再び光が当てられた。とにかくふたりの技術的な完成度が高いため、作曲者の晩年の孤独や失意より、もっと前向きな生への執着と意志、情熱がひた押しに押し寄せてくる。デュ・プレとバレンボイムによる夫婦共演盤(デュ・プレ最後のスタジオ録音)は、暗い情熱、というより情念の炎が渦巻くような演奏で全体のトーンが暗い。しかし抑制された表現がかえって感動を呼ぶのと、チェロとピアノの呼吸が絶妙だ。シュタルケルは例によって硬派の、男っぽい、筋肉もりもりのショパン。しかし的は決して外さないのはさすがだ。・・・(以下略)
私も先日の新井さんと近藤さんのコンサート、どのCDよりも感動しました。久しぶりに同曲の生演奏を聴いて、やはり実演はいいなあと実感しました。
>確かに、余命僅かの自身へのレクイエムという見方が一般的なこの音楽だが、今回の実演からは、そうではなく明るい未来へ希望と抱負を託した、そんなショパンの生命力と「まだまだ死ねぬ」という気概が感じられた。
そうですよね。確かにこの曲に説得力を持たせる演奏コンセプトは、開き直りにも似た思い切りのよさ、または「生きる執念」といった、ポジティブさが必要不可欠なのかもしれませんね。ロストロやデュ・プレやシュタルケルがそうであったように・・・(ご紹介のヨーヨー・マ盤もポジティブで流麗な名演ですね。それに、とても美音で聴き惚れます)。新井さんたちの演奏も、そういう前向きなポイントをちゃんと掴んでいましたよね。この曲の良さをしっかり堪能できる名演だったと思います。
ますます同曲が好きになりました。ショパンは晩年、明らかに対位法を再発見していたと思われ、もっと長生きしていたら、更に神の領域に無限に近付く室内楽の傑作も残せたのではないかと、ついつい空想してしまいます。
引用文訂正
×彼はショパンの友人のチェリスト、オーギュスト・フランショーム(1808~84)。
○作品を献呈されたのは、友人のチェリスト、オーギュスト・フランショーム(1808~84)。彼はショパンが最も親しく交際したフランス人だった。
失礼いたしました。
>雅之様
おはようございます。
>15年くらい前に、渡辺和彦 著「ヴァイオリン/チェロの名曲名演奏」(音楽之友社 1994年第一刷発行 現在絶版か?)を読んで推薦CDを集めて聴きまくったことでした。
そういうことがおありになったんですね。この本は未読ですが、面白そうですね。
ロストロ&アルゲリッチ盤についての「作曲者の晩年の孤独や失意より、もっと前向きな生への執着と意志、情熱がひた押しに押し寄せてくる」というコメントはなるほどですね。長いこと聴いていなかったので久しぶりに聴いてみたくなりました。
>ショパンは晩年、明らかに対位法を再発見していたと思われ、もっと長生きしていたら、更に神の領域に無限に近付く室内楽の傑作も残せたのではないかと、ついつい空想してしまいます。
同感です。