リアル・ワールド!

とても爽やかな気分。
一気に晴れ間が広がったような(笑)。本当の意味で自由になれるだろうという喜びと幻想世界でなく真実の世界で生きようと心から思える事件が起こった。
これを機に当ブログも第4章に突入しようか?とも思うくらい(笑)。
いずれにせよ、自分の着地点と目的地がようやく(40歳後半にもなって?と思われましょうが、いろんな意味で僕は奥手でして・・・苦笑)明確になり、ブログの内容もこれから少しずつ変化をしてゆくかも・・・。その意味で、リアル岡本ワールドを一層追究してゆこうかと。そう、ベートーヴェンではないが、「茶番」はそろそろ終了ということで。

今朝、雅之さんからご紹介いただいたフルトヴェングラーの戦時中録音のシベリウスがどうしても聴きたくなって、十数年ぶりに取り出して聴いてみた。

およそシベリウスとは程遠いデモーニッシュな、しかしその堕落したような(笑)深い味わいが逆にスパイス以上のスパイスとなって音楽好きの脳天を直撃する。

シベリウス:
・交響詩「エン・サガ」(1943.2.7Live)
・ヴァイオリン協奏曲ニ短調作品47(1943.2.7Live)
ベートーヴェン:「コリオラン」序曲作品62(1943.6.27)
ゲオルク・クーレンカンプ(ヴァイオリン)
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

壮絶すぎる!!しかし、こういう解釈もあることを知った方が良い。そして、それが作風に合ってないとかうねり過ぎとか言うなかれ。おそらく一度きりのライブで、その場にいた聴衆は卒倒しただろうことが想像すらできる、戦時中とは思えない優秀録音。(それにしてもクーレンカンプの弾くコンチェルトなど何度も繰り返し聴くと鬱陶しくなってくる面もあるが、一度なら最高!)
そして、別日の録音である「コリオラン」!!これはもう言うことなし。リアル・ワールドの体現!フルトヴェングラーならではの灼熱のベートーヴェン!


4 COMMENTS

雅之

おはようございます。

>壮絶すぎる!!しかし、こういう解釈もあることを知った方が良い。そして、それが作風に合ってないとかうねり過ぎとか言うなかれ。おそらく一度きりのライブで、その場にいた聴衆は卒倒しただろうことが想像すらできる、戦時中とは思えない優秀録音。(それにしてもクーレンカンプの弾くコンチェルトなど何度も繰り返し聴くと鬱陶しくなってくる面もあるが、一度なら最高!)

まったく同感です。フルトヴェングラーのブルックナーにも同じことが言えますよね。
一般的に現在クラシックでは、作曲家の本質に迫る演奏が好しとされていますが、演奏家の本質が作曲家の本質を上回る演奏だって、もっと評価されてもいいと思います。ジャズの立脚点っていうのは、まさにそこですよね。

突然ですが、おとなしくて、草食系で、争いを好まないのだけが岡本さんの本質だと私から指摘されたら、岡本さんは反発するでしょう、お前に何がわかる!って。そう、作曲家の本質なんて、誰もわかっちゃいないのです。作曲家は舌を出して笑い、平気で聴衆を欺きますし・・・。

>人間とは、常に揺らぎの中にありますね。

>昨日の思いと今日の感じ方とは全く違うということもあります。
>山あり谷あり、陰と陽、「生きている」ことは素晴らしいですね。
http://classic.opus-3.net/blog/?p=6169#comments

であれば、過去の作曲家の気まぐれな本質よりも、今の演奏家と聴衆の切実な真実が、もっと重要視されてもいいのではないでしょうか。たとえば、3・11の後に演奏家の解釈が変化し、聴衆の作品に対する受け止めかたが変わることだって、当然有り得るでしょう。かつて戦時中、フルトヴェングラーや彼の聴衆がそうだったように・・・。

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岡本 浩和

>雅之様
おはようございます。

>演奏家の本質が作曲家の本質を上回る演奏だって、もっと評価されてもいいと思います。ジャズの立脚点っていうのは、まさにそこですよね。

確かに!おっしゃるとおりですね。
人間も自然も様々な側面がありますしね。ご指摘の通り「おとなしくて、草食系で、争いを好まないのだけが」僕の本質だと言われれば確かに反発します(笑)。

>作曲家の本質なんて、誰もわかっちゃいないのです。

うんうん、わかります!

>たとえば、3・11の後に演奏家の解釈が変化し、聴衆の作品に対する受け止めかたが変わることだって、当然有り得るでしょう。

同感です!

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