愉快痛快!

高いところから見なさいという意味がわかった。
世の中がすべて茶番、幻想だとするなら、真実の世界から見下ろせと。
決して見下すという意味ではないが、真に高いところから俯瞰すればそれも可能。
パソコンで作業をしていて、ふとそんな思いが過った。

そういえばここのところ独りになれる時間が多く、思った以上に時間が有効に使えている。本を読んだり、瞑想をしたり、精神世界の勉強を再開したり、なかなかこれが面白い。忘れかけていた自分自身を取り戻すために必要な時間だったんだと知り、そのことを随分前からある先生が教えてくれていたことを思い出した。

人との対話も重要だが、独りになって自身と対話することはもっと重要。意思の決定を図るのは自分以外の誰でもない。他者に依存しても正しい答えは出まい。それならば徹底的に自己と向き合うことだろう。

ま、そんな抽象的で高飛車な考えは置いておいて・・・。
やっぱり、他人のために尽くそうと思う想いかな、大切なのは。

モーツァルト:
・ディベルティメント第17番ニ長調K.334
・ディベルティメント第1番ニ長調K.136
ウィーン八重奏団員

モーツァルトの喜遊曲。これほどまでに愉悦に富んだ音楽があろうか。
それでいてモーツァルトらしいどこか哀しみに包まれた瞬間ができる名曲。嬉しくなる。

ところで、本夕、20数年ぶりの仲間たちと集った。前職のセミナーでの後輩たち。皆、バブルを経験している世代で、当時の思い出話に花を咲かせ、あの異常な時代を回顧しながら酒を酌み交わした。年をとっても本質的に誰も変わらないというのが人間の性。

稀代の音楽家の優れた作品が、どんなに時を経ても一向に色褪せないのは、それらの名曲が人の本質というものを見抜いているからだろう。
これこそ「真実」の叫び、そして「心」からの想い。


2 COMMENTS

雅之

おはようございます。

モーツァルトの曲で一番最初に好きになったのも、
一番最初に演奏に参加したのも、ディヴェルティメント第17番ニ長調K.334 の中の
「メヌエット」
http://www.youtube.com/watch?v=kowe7WKBY7A

でした。雪の結晶のように純度の高い「メヌエット」、これを聴くと忘れ難い懐かしい記憶を想起し、いつも涙が出そうになります。

昨日もまた、シベリウス:ヴァイオリン協奏曲のCDを聴いていました。今度は現代の爽やかな名演(個人的趣味では最も好きな演奏)。

 フランク・ペーター・ツィンマーマン(ヴァイオリン)
 ヘルシンキ・フィルハーモニー管弦楽団
 ヨーン・ストルゴー(指揮)
http://www.hmv.co.jp/product/detail/3887959

ツィンマーマンが弾いているのは、クライスラーが所有していた1711年製ストラディバリウス(ドイツの銀行が貸与)。

ストラディバリ(1644年 – 1737年12月18日)も、モーツァルト (1756年1月27日 – 1791年12月5日)も、小氷期に活躍していたということを、また思い出しました。

>稀代の音楽家の優れた作品が、どんなに時を経ても一向に色褪せないのは、それらの名曲が人の本質というものを見抜いているからだろう。
これこそ「真実」の叫び、そして「心」からの想い。

けれども、たとえば熱帯雨林に住む人は、これらの曲についての感じ方が、我々とずいぶん異なるんだろうなあと思います。

日本に四季があるということは、日本人の音楽に対する感性と密接に連関しているんでしょうね。

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岡本 浩和

>雅之様
おはようございます。
「メヌエット」いいですよね。僕も昔から好きでした。

ツィンマーマンのシベリウスは未聴ですが、興味深いです。機会を得て聴いてみたいと思います。

>小氷期に活躍していたということを、また思い出しました。
>日本に四季があるということは、日本人の音楽に対する感性と密接に連関しているんでしょうね。

時代や気候、風土が感性に与える影響というのは大きいものなんだと僕も思います。
当然聴く側の聴き方、感じ方も変わってくるんでしょうね。

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