ラッスス:6声のためのモテット&4声のためのミサ曲

遠く古を空想するのは儚くも愉快。
それも、行ったこともない土地の大昔の様子を、例えば音楽や絵画を通して想像してみると・・・。でも、確実に言えるのは自分が興味を持つ「こと」というのは必ず何か「関係がある」ということだ。そして、興味のあることを人は誰でも突き詰める。
音楽が好きになったお蔭で西洋史に興味を持った。あるいは哲学や宗教学にも興味が湧いた。僕がそもそも人間に、学問で言うなら学生当時「心理学」というものに意識が向いた源泉というのは音楽の力が大きいということが今になってよくわかる。
それと、学生の頃、まったくできなかった数学や物理学というものに逆に興味を持たせてくれたのも長い間聴き続けたことによる音楽の力による(聴き続けてきたというのが大事。ある時、音楽は数学だと、いや、宇宙というのは数学だとやっと理解できた)。
音楽の何がそんなに僕の好奇心をくすぐるのか?
見も知りもせぬ世界に時間と空間を超え瞬時にトリップすることが可能だから。

特にバロック以前の音楽は、単に「祈り」の音楽という言葉では片づけられない、人間の思考、生き方の術、当時の世相がほとんど何のフィルターも通さず反映されているのでは(作曲家の頭を通さず、インスピレーションがそのまま音化されているような)。

今日はことのほか寒い。昨日と気温差は10℃ほどもあるのでは?
しかし、こういう事象によって自然が人智を軽く超えるものだとわかるというもの。もちろん気象などというのは長い年月をかけて自然とともに在った我々人類が為してきたことの「反響」のひとつであるのだろうけれど。
ところで、久しぶりの休養日は空想の日(笑)。ほんの少々打ち合わせで外出した以外はただひたすら音楽を聴いて心身のお浄め・・・。DHMの50周年ボックスから1枚を取り出してみる。フランドル楽派最後の巨匠、オルランドゥス・ラッスス(1532?-94)。

ラッスス:
・6声のためのモテット「音楽は神の最良の贈物」
・6声のためのモテット「シオンよ、救い主をほめたたえよ」
・4声のためのミサ曲「途方にくれて」
ブルーノ・ターナー指揮プロ・カンティオーネ・アンティクァ

ラッススの音楽には心地良い色気がある。いわゆるバロック期の壮麗さの一歩手前、しかしながらそれ以前のルネサンス音楽の純粋無垢な抹香臭さは感じられない。それはおそらく彼が、宗教音楽と世俗音楽とをほぼ同等に扱ったからだろう。ある時は神の遣いとしての音楽家を演じ、またある時はあくまで人間としての恋心や思いを音符に託すというように、両刀を使い分けることのできた、とてもバランスの良い音楽家だったのだろうと想像する。
わずか4分足らずの「音楽は神の最良の贈物」。その名の通りの素晴らしさ。
そして20分強を要する「シオンよ」については、息をのむ美しさ。
ミサ曲は、10分ほどのクレドを真ん中に置いてのシンメトリー構成。いずれも計算された緻密な「調和」の中に在る音楽たち。


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