希望と真実に満ちた音楽の宝庫

この時期、大学3年生を相手に自己分析や業界企業研究の重要性を、口を酸っぱくして語ることが多い。不景気のせいでどの学生も心配なようで、本当に真剣に講義を聴いてくれる。終了後には質問するのに長い列ができることも多い。日本の将来、否、地球の将来を担う学生に関わることって、それがどんな形であっても楽しい。

振り返るとこの四半世紀、孤独なようでいていつも「ひとり」でなかった。傍らには常に何か(誰か)の存在があり、しかもそれが相当に大きいものゆえ呪縛もかなりなもので、自分でもまったく気がつかないうちに自らを押し殺し、周囲の期待に添うように努力をする僕がいた(ように思う)。それは今だからわかることで、もちろんその時はそんな風には思ってもみないこと。どちらかというと自己中心的・独善的なタイプで、自律的に生きていそうに見えながら、深層では実に依存的で他人の目を気にする性質。それでいてじめじめした粘着気質でなく、からっと楽天的だからある意味手に負えない(笑)。
いつも寄り添える何かを探し求め、それを見つけるやすぐさま利用する。僕自身、深層自己分析をして(笑)、そういう生き方が結局は「自分を信じる力」を失わせるものなんだということに気づく。気づいたからこそ飛び出した。そして、ともかく「自分で決める」という決断をする。そう、何事も自分の直感で決めた方が良いと。

そのために・・・、時に「ひとり」になることって大切。人と人とが、人と自然とがつながっているんだとわかっているからこそ、より一層「ひとり」でいる時間の重要性が身に沁みる。無心に何かに向かうとき、勉強するとき、そして自分を振り返るとき・・・、静寂の中でただただ自分と対峙することの喜びよ・・・。

誰かとひとつになっているときと、ひとりでいるときと、そのバランスが生きてゆく上で大切なのだろう、他の人がどうなのかはわからないが、少なくとも僕にとってはそう。
もうひとつ。僕の場合、常に「何とかなる」という思考が内から湧き出て、目先がどんなに大変な状況であっても苦にせずマイペースで進んでいくものだから、身近な心配性の人は大いに大変だっただろう・・・(苦笑)。とはいえ、やっぱり自分らしい生き方を追求したい、否、「自分らしい」というより無理をせずありのままにいたい。
ファルスタッフの次の言葉が響く・・・。

「この世はすべて冗談さ。人はふざけるために生まれてきたのさ。誠実もあやふや、理性だってあやふやなもの」

老ヴェルディが、最後のオペラ「ファルスタッフ」で、ファルスタッフに言わせたこの台詞は次々に他の歌手に受け継がれ、大団円を迎える。80歳を前にした芸術家の思考、言葉には重みがある。それまでオペラの題材に悲劇しか選ばなかった彼が、人生を振り返ってみた時思ったことは何だったのか。当時、周囲の誰もがまさか新しいオペラが発表されようとは思わなかったという。ベートーヴェンの死に際の言葉に通じる、やるべきことをやり切った芸術家が行き着いた最後の境地。希望と真実に満ちた音楽の宝庫。

ヴェルディ:歌劇「ファルスタッフ」
ブリン・ターフェル(バリトン)
トーマス・ハンプソン(バリトン)
アドリアンヌ・ピエツォンカ(ソプラノ)ほか
ベルリン放送合唱団
クラウディオ・アバド指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

今となってはアバド時代のベルリン・フィルが懐かしい。ラトルとは別の意味で挑戦的でありながら、実に安定した作品を我々に贈り続けてくれた。自信に漲り、音の一粒一粒に張りと透明感がある。もちろん歌手の力量も大きい。


3 COMMENTS

雅之

>「この世はすべて冗談さ。人はふざけるために生まれてきたのさ。誠実もあやふや、理性だってあやふやなもの」

善と悪との境界線なんかも、本当はどこにも存在しないんですよね。

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岡本 浩和

>雅之様
良いか悪いかなんて人間の勝手な判断ですからね。
陰陽、善悪一体だと僕も思えるようになりつつあります。
ありがとうございます。

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アレグロ・コン・ブリオ~第4章 » Blog Archive » 生きているんだ!!

[…] 新年最初の「早わかりクラシック音楽入門講座」のテーマは、ヴェルディとワーグナー。ともに1813年生まれの、当時のヨーロッパを二分したオペラの巨匠だが、その性格は異質。しかしながら、老ヴェルディが晩年にアリゴ・ボーイトの台本をもとに作曲した2つの傑作「オテロ」と「ファルスタッフ」に至り、いわゆるアリアなどを廃止し、ワーグナーが生涯追い求めた音楽と舞台とすべてをひとつにする総合芸術に限りなく接近したという意味においてはいずれの天才も志向していた先はまったく同じだったんだと考えられる。ヴェルディは27作の歌劇を生み出し、ワーグナーは、バイロイト音楽祭の舞台にかけられるものだけでも10作の作品があるのだから、それらの一つ一つを完全にものにしてゆくというのは至難の技で、それこそある時期相当にのめり込みながら、一生かけて追究してゆかなければならない代物たちなんだとあらためて考える。 それに、時間と労力をかなり消耗するという意味では、やっぱりオペラなどは10代から20代の初め頃に目一杯聴き尽くしておくことが大事とも思うし・・・。 […]

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