クラウス、ボスコフスキー&ヒューブナーのモーツァルトK.548ほか(1954.10録音)を聴いて思ふ

借金返済のため?または、当面の資金作りのため?
様々な憶測があるが、仮にそうであったとしても、残された作品には人智を超えた美しさが犇めく。モーツァルトの音楽はすべてそうだ。

リリー・クラウスのピアノは決して主張しない。
謙虚に、しかし、堂々と音楽をリードするのである。
実にモーツァルトに相応しい個性とでもいうのか、古い録音から浮かび上がる生命力、活気。三重奏曲ハ長調K.548。1788年7月14日完成。
晩年の、経済的に不安定だった時期のモーツァルトの内なる翳を見事に音化する道化(特に第1楽章アレグロ!)。そして、ヒューブナーのチェロが語り、ボスコフスキーのヴァイオリンが囁く第2楽章アンダンテ・カンタービレの美しい「歌」。終楽章アレグロは、中間の短調の部分に、微かな慟哭を垣間見、ほんの一瞬めらめらと燃え上がる不安の炎の如し(こういうちょっとした瞬間こそがモーツァルトの魔法)。

天使たちが神を讃美しようとしてバッハの音楽を奏するかどうか、確信がもてないが、彼らが相つどってモーツァルトを奏し、神もまた喜んで耳を傾けるにちがいないことは確かだ。
(カール・バルト)

モーツァルト:
・ピアノ三重奏曲第4番変ロ長調K.502
・ピアノ三重奏曲第5番ホ長調K.542
・ピアノ三重奏曲第6番ハ長調K.548
・ピアノ三重奏曲第7番ト長調K.564
リリー・クラウス(ピアノ)
ヴィリー・ボスコフスキー(ヴァイオリン)
ニコラウス・ヒューブナー(チェロ)(1954.10録音)

三重奏曲ト長調K.564。1788年10月27日完成。
第2楽章アンダンテ(主題と6つの変奏)が殊更美しい。ピアノを主体とした短い主題(クラウスの演奏がまた可憐)が繰り返され、続く第1変奏でボスコフスキーのヴァイオリンによって主題が奏される瞬間の言葉にならない陶酔。いかにもモーツァルトらしい、愛らしい変奏が繰り広げられるのである。そして何より終楽章アレグレットの、やはり短調に転調される短い間奏部の憂いが堪らない。

ぼくが漫画家になったきっかけは、そもそも、モーツァルトだった。と書けば、あまりにできすぎていると思われよう。しかし、まあ、いきさつというものはどうにも解釈できるものである。風が吹いて桶屋が儲かる式のいきさつなのだが・・・。
手塚治虫「モーツァルト、哀愁のバッカス」
「私のモーツァルト」(共同通信社)P239

驚き。
後世の人々にそれほどの影響を与えるモーツァルトの音楽。
他のどんな偉大な作曲家の作品とも明らかに異なるモーツァルトの音楽。

そういう世界の中でふうふういいながら、ぼくはモーツァルトの曲を今日も聴いている。優雅で、哀愁に満ちて、リリカルで、ファンタスチックで、甘く、バッカスのような朗かさをたたえたそれには、暗さはおろか、苦悩や逡巡の片鱗もない。どうやってそれらの作品が生み出せたのか、かれはやはり天才で、われわれの及びもつかぬ世界の人間だったかを、思いめぐらしながら、今後もずーっと聴き続けていくことになるだろう。
~同上書P245

この言葉をそのまま手塚治虫さんに返したい気分(手塚治虫もやはり天才だ)。
ちなみに、手塚さんが最晩年に書いた「火の鳥 大地編」の構想原稿を基に、桜庭一樹さんが小説を創作するという。実に興味深い。

 

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