ツィマーマンのドビュッシー「前奏曲集」第2巻(1991.8録音)を聴いて思ふ

debussy_preludes_zimerman047クロード・ドビュッシーの革新が炸裂する。
本当はキース・ジャレットあたりが弾くと、遠心力に富む途轍もない永遠の名演奏が生れそうなのだけれど。
真逆の、踏み外しのない求心力の高い真摯なクリスティアン・ツィマーマンの音楽は、遊びが少ない分筋肉質(?)かつ作品の輪郭が明瞭で、器を把握するという意味で最右翼。

1910年から13年にかけて創作された前奏曲集第2巻。
第1曲「霧」から第12曲「花火」まで、息つく暇もない、いわば精神の舞踏。決して踊ることはできない、舞踏には不向きな舞曲だが、だからこそ面白い。

気軽にしかもつつましく、凛としてしかもやさしく
立ったり腰をおろしたり、口をきいたりしてくれた。
僕は感じた、暗い心のどこやらに、こうした彼女のふ
るまいの
明るい反射が届くのを。
堀口大學訳「ヴェルレーヌ詩集」(新潮文庫)P104

ポール・ヴェルレーヌが「沈みがちな気持の」で表現するこの安堵の想いに似たような感情が音楽から溢れ出す。

例えば、ハバネラの動きを持つ第3曲「ラ・プエルタ・デル・ビノ」の内にある想像のスペインは、幾分かの歪の表象であり、まさに魂が無用に踊り続ける様を追う。続く第4曲「妖精たちはえも言われぬ踊り手」の、地獄のような暗澹たる表面を持つ天国的響きに「明るい反射」を垣間見る。
第5曲「ヒースの荒地」はツィマーマンの独壇場か。これほどに「つつましく、凛としてしかもやさしい」音楽表現はなかろう。涙が出るほどに美しい。
また、第6曲「ラヴィヌ将軍―おかしな奴」に聴くアンニュイな音調は、まるでヴェルレーヌの同じ詩の次の節を暗示するよう。

苦労知らずの人がらの
すなおにそのままにじみ出る
おしゃべりの伴奏は
優雅な音楽さながらの彼女の声が受持った。
~同上書P104-105

さらに、第7曲「月光の下、謁見のバルコニー」の、鏡の中にある幻想的な移ろいの音楽に我を忘れる。ほとんど愛撫のようだ。

・ドビュッシー:前奏曲集第2巻
クリスティアン・ツィマーマン(ピアノ)(1991.8録音)

あるいは、第9曲「ピクウィック氏讃」の、重く暗く奏される「英国国歌」の断片を背景に、素朴な人柄で人間愛に満ちたピクウィック氏の登場シーンに不思議な愉悦を思う。
また、最終第12曲「花火」での、パリ祭のにぎわいを描く超絶技巧の粋!!
ここでは創造者ドビュッシーの天才と再生者ツィマーマンの魂が見事に交錯する。

 

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