2つのペット・サウンズ

何年か前にBrian WilsonがThe Beach Boys時代の幻の名盤”Smile”をリリース、それにあわせて国際フォーラムで来日公演を行ったのだが、会場は僕よりおそらく年齢は上だろうという方々で埋まっており、Brianが登場するなり最後の最後まで大盛り上がり、”Smile”の再現はもちろんのこと、”Good Vibration”や”God Only Knows”など、不滅の名曲群を惜しみなく披露してくれた、そのときの感動が再び蘇ってきた。残念ながら声質はかつての輝きを失いつつあったが、一方でいぶし銀のようなというか、老練の渋さも秘めており、それはそれで生のBrianが目前で歌っているという感動と感激で身体中が熱くなったことが昨日のよう。

どうやらまもなくビーチ・ボーイズの「スマイル」が蔵出しされ、再編集、発売されるとの情報を得た。当然”Smiley Smile”とは違ったものになるだろうし、Brian版”Smile”とも異を呈する装いになるだろうと想像するのだが、こういうマニアックな音盤を追っかける自分を客観的にみたとき、数年前のあの会場にいた5000人近くの人はやっぱりみんな僕と同じような気持ちになっているのだろうなと気恥ずかしさ(笑)と共にそういう子どものような熱狂心をいつまでも忘れないでいたいものだとも感じた。売り手の罠にどんなにはまり込もうと(笑)、好きなものは好き、気になるものは気になる、それで良いのです。

2002年1月、ロンドンのロイヤル・フェスティバル・ホールでブライアン・ウィルソンは超名盤「ペット・サウンズ」の完全再現ライブを敢行したのだが、その時の音源を基にしたCDを。残念ながら、これはあくまで記録としての価値しかない。いや、映像を伴ったDVDの方は最高に面白いのだが、年老いたBrianの不安定な歌声ひとつでは、輝ける14曲を再現するのは難しいのだと思わせられるから。例えば”God Only Knows”はやっぱりカール・ウィルソンの声で聴きたい。そして、5人の際立った美しいハーモニーの妙、それが「ない」ことがどれだけ物足りなさを感じさせることか・・・。
しかしおそらく、当日ロンドンのその場にいた聴衆はきっと卒倒したことだろう。その場でブライアンと同じ空気を分かちながら、直接的に音を体感することが何より重要ということ、特にこういう懐メロ的なものは(フロイドの「狂気」完全再現などもライブで聴いたら失神したかも・・・笑)。

Brian Wilson presents Pet Sounds Live

この後日本でもブライアンは披露してくれたが、情報を得るのが遅くて駆けつけられなかった。ロンドン公演のDVDを観るにつけ、地団駄。
それにしても初秋の、肌寒くなりかけの今頃、”Pet Sounds”の音はよく似合う。お耳直しに、40th Anniversary Editionを聴いたが、最高。MonoバージョンとStereoバージョンの2つが1枚に収められているが、実にモノラル・バージョンの方が良い(僕の好み)。ステレオ版が空中分解しそうな音なのに対して、見事に地に足がつき、芯の太い音楽が伝わってくる。ブライアンが初リリースの際モノラル・ミックスにこだわったことが何だかわかるような気がする。

2つの「ペット・サウンズ」を聴いてみて・・・、何だか複雑な気分・・・。

I may not always love you(ずっと君を愛せないかもしれないけど)
But long as there are stars above you(君の頭上に星が輝く限り)
You never need to doubt it(そのことを疑う必要はないよ)
I’ll make you so sure about it(必ず君を納得させてあげれる)
God only knows(神様だけが知っているのさ)
What I’d be without you(君なしの僕がどうなってしまうか)


6 COMMENTS

雅之

こんばんは。
今回も本文に関係のないコメントでごめんなさい。ちょっと私の現在の音楽の趣味での悩みについて報告しとかなくちゃ岡本さんに対して誤解を招き過ぎる(笑)と思い付きました。

多忙になったことも理由のひとつかもしれないのですが、どうもここ数ヶ月、既存のどんなジャンルの音楽も、「今」という時代と波長や呼吸がまったく合わないように私には思えてならず、何を聴いても、なんなんだろう、この違和感は?などとばかり感じていたのですが、約半年以上ぶりにレコ芸の最新号
http://www.hmv.co.jp/product/detail/3947537
を買って読み、吉田秀和さん連載の今回の冒頭にすっかり共鳴、シンクロしてしまう自分を発見しました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 三・一一が起こってから、音楽をじっくりきいているのが、とてもむずかしくなった。心を鞭打ってCDをかけたり、近来とみに弱くなった身体を無理矢理動かして音楽会に出かけたりしないわけではないのだが、たとえそうしていても、気がつくと、いつの間にか心は音楽から逸れて、別なことを考えている。そうなると、もう音楽に戻るのがひどくむずかしいのに気づくばかりだ。
 熱心に私に執筆をすすめてくれる編集者、また彼の言うことを信じてよければ、私の書くものを楽しみにしておられる読者の皆さんが待っておられるのだと思うと、一層気が気でなくなるのだが、心は重く、筆は進まない。この国は重く深く大きな傷を抱えている。それは時がたてば治るだろうと、簡単にはいえないような性質のもののように、私には、思える。
 これまでも、再三、休ませてはきたけれど、今度の筆の重さは、それとは違う性格のものだ。
 でも、時に、何かの調子に、厚く重い雲に切れ目が生まれ、そこから光らしきものが射してくるみたいに、音楽がきこえることもある。(以下略)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

心を揺さぶられたのはこの部分だけ。因みに他の執筆者たちの文章には、まるで私の心には響きませんでした。

こんな時代に何事もないように平静に振る舞える人にはなりたくない。日本国民の、深層心理では膨大な、不安や恐怖心や現実逃避からくるのかもしれない影の部分への過剰な隠蔽体質は、客観的に俯瞰するとじつに不自然で、ついに北朝鮮や北朝鮮の放送局並みになってきたんではないか? でも、自分もそういう国家の一員なんだ、・・・なんて自己嫌悪も強くなるばかりなのです。

愛する妻や子供たちは、そんな私の深刻な悩みにはまるで理解を示さないのが、いいことなのか悪いことなのか・・・です(笑)。もともと心が繊細じゃないからなんだと思います(笑)。

返信する
岡本 浩和

>雅之様
こんばんは。
雅之さんの心境は何となくわかってました。
僕も吉田先生の文章を読んで共感したのでそのお気持ちよくわかります。

「この国は重く深く大きな傷を抱えている。それは時がたてば治るだろうと、簡単にはいえないような性質のもののように、私には、思える。」という部分ですが、僕は人前に立ち講演をしたりワークショップをしながら、特に若者には真の意味で明日を背負える人間になってほしいという気持ちで接しております。誰かが具体的にメスを入れていかなければいけない、たとえそれが微々たる力であってもという思いです。

しかしながら、大変革の時期はいつでも痛みを伴うもので、僕は今のこういう状況は意外に次のステップに向けての壁の一つにすぎないとある意味楽観視しています。必ず良い方向に向かうんだと信じて自分ができることをまずは精いっぱいやろうと心掛けて。とにかくひとりひとりが自分のテリトリーで本気になることだと思います。お互い頑張りましょう!!

返信する
雅之

ええ、だから、今この時代の空気から生を受け呼吸する音楽を、もっともっと聴きたいんです。過去じゃなくて・・・。

返信する
雅之

それと、未来が良い方向も悪い方向もないんですよね。各人がその時の状況をどう判断するかだけの話なんで、極めて主観的な話ですよね。地獄だって意外に楽しめる人は多いと思います。鬼と親しくなったりして(笑)。

返信する
岡本 浩和

>雅之様

>今この時代の空気から生を受け呼吸する音楽を、もっともっと聴きたいんです。過去じゃなくて・・・。
>地獄だって意外に楽しめる人は多いと思います。鬼と親しくなったりして

おっしゃるとおりだと思います。こういう時代だからこそ「実存感」て大事ですね。良し悪しを判断しないで生の演奏にただただ身を沈めるのが一番かもしれません。

返信する
アレグロ・コン・ブリオ~第5章 » Blog Archive » ジョンの知的なピアノとミルトの優雅なバイブと

[…] 何だろう、この独特の哀愁を帯びた音色と煌めくような前向きな音楽の魅力は・・・。 才媛ブリジット・フォンテーヌはモダン・ジャズ・クァルテットのステージに触れ、大学で学ぶことに疑問を感じそのまま退学、やりたいことを好きなようにやってゆくという道を選択したという。後にも先にもMJQのようなバンドは存在しない。ジョン・ルイスの作曲能力とミルト・ジャクソンのヴィブラフォンの優雅な響きが掛け合わさって他にはない魅力を創出する。 彼らは、ジャンルを超え、本当にたくさんのアーティストに途轍もない影響を与えたのかも・・・。 例えば、ブライアン・ウィルソンなども影響を受けた一人なのだろうか?どうにも聴いたことがあるような「他人の空似」的音楽(旋律やコード進行や)が現れては消え、消えては現れ・・・。 久しぶりに彼らが1950年代全盛期に録音したアルバムのいくつかを繰り返し聴いてそんなことを感じた。 […]

返信する

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

アレグロ・コン・ブリオをもっと見る

今すぐ購読し、続きを読んで、すべてのアーカイブにアクセスしましょう。

続きを読む