身も心もとろけるほどの・・・

何と素敵なマーラー!テンポの伸縮は半端でなく、弦の甘美なポルタメントも相変わらずで、何より1939年のライブ録音とは到底信じられない重厚でクリアな音が僕の脳天を直撃する。かれこれ30年近く前に購入し、当時はそこそこに聴いていたもののCDの出現以来おそらく一度も耳にしなかっただろうメンゲルベルクのアナログ・レコードを2度繰り返し聴いた。例の有名な「マタイ受難曲」といい、このマーラーといい、戦時中の大変な時期にこういう音楽を体感できたアムステルダムの音楽愛好家たちが真底羨ましい。終演後の壮大な拍手もしっかり収録されており、本当に貴重な記録であると思う。

久しぶりに聴いて感じたこと。歴史的資料に過ぎないと捉えればそれまでだが、1回きりの実演をタイムスリップして今この瞬間にあえて想像力を最大限に駆使し追体験することは、素晴らしい音楽を享受するにあたっては実に重要な姿勢だということ。確かにレコードは音の缶詰に違いない。しかし、聴衆の咳払いまでもが鮮明に聞こえる中で目を閉じ、そして息を凝らして集中するだけで、もう「ここ」は1939年当時のアムステルダムのコンセルトヘボウ(笑)。

実際にマーラーの指揮ぶりを間近で見ていたであろうメンゲルベルクの濃厚なロマンティシズム溢れる解釈は(マーラー自身もメンゲルベルクの自作演奏には一目置いていたといわれる)、身も心もとろけるほどの灼熱地獄(いや、極楽)・・・。第1楽章冒頭の鈴の音からすでに懐かしさを喚起し、弦のさざ波も金管の叫びもすべてがまるでメルヘンの世界。特筆すべきはアダージョ楽章。胸が締め付けられるほどの甘美な旋律は、恋の始まりに抱く「憧れ」と「苦悩」を表すかのよう。一日中でも浸っていたい・・・、そんな音楽。

マーラー:交響曲第4番ト長調
ジョー・ヴィンセント(ソプラノ)
ヴィレム・メンゲルベルク指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団(1939.11.9Live)
フィリップス・アナログ盤(PC-5553)

雑念を取り払おうとすると、それだけで余計に雑念が生まれるが、雑念でいっぱいの自分ですら受け入れてしまえばその瞬間即真っ白になれる。今朝は久しぶりに2度寝をした。と言っても最近のパターンにより最初に目覚めたのが午前3時。あまりに早すぎるというので眠くなるまで本を読んだり、音楽を小音量で聴いたり・・・。ようやくうとうとし始め、次に起きたのが午前6時半。よって日中が長い・・・(笑)、日々是有意義。

ところで眩しい太陽の光が降り注ぐ中、「笑いヨガ(ラフターヨガ)」なるものに初参戦した。とにかく1時間笑い続けるというもの。「笑い」というものが基本的に受け身のものだが、あえて能動的に笑って、笑って、笑う。これが実に気持ちが良い。時間があるときにはまた行ってみよう、何か具体的な変化があるかもしれないし。


2 COMMENTS

雅之

こんばんは。
メンゲルベルク指揮の演奏録音を聴いて凄いなあといつも感心することのひとつは、ポルタメント多用の解釈を多人数の弦パート全員に徹底させていたところ。これって言うのは簡単ですけどど、技術的にとても難しいと思います。まさにオケ全員が一体となって労をいとわず価値観を共有できなければ成し得ない偉業でしょう。メンゲルベルクという大指揮者は、それだけコンセルトヘボウの楽員に尊敬され信頼されていたんでしょうね。

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岡本 浩和

>雅之様
おはようございます。

>ポルタメント多用の解釈を多人数の弦パート全員に徹底させていたところ
そうですよね、言われてみると確かに難しそうです。

>それだけコンセルトヘボウの楽員に尊敬され信頼されていたんでしょうね。

トスカニーニやなどもそうですが、独裁的と言われようとも、楽団員から尊敬の眼差しで対応される指揮者の力量というか人間力は「昔」ならではなのでしょうかね?今こそこういうリーダーシップをもった人材がどこの世界でも必要なんだと思います。

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