ああ憐れな世よ、お前は私を迷わせる。
そうだ、私は本当はお前を信じているのだ。
しかもそれを避けられない。
偽りの世よ、お前は真実ではない。
お前の幻影は消え去った。
私は、悲嘆と大きな苦悩とともにその幻影をよく知っている。
お前の栄誉や財宝は無になりお前の宝物は虚しい贋金だ。
主よ平安のために私を救いたまえ。
~モテット作品110-2「ああ憐れな世よ」
ヨハネス・ブラームスがいかに信仰心の篤い敬虔なキリスト教徒だったかがよくわかる。
それは師ロベルト・シューマンの死や実母の死に遭い、追悼の意を込めて何年もかけて作曲した傑作「ドイツ・レクイエム」の祈りに満ちた音楽により理解可能だが、それより初期から晩年にかけて一貫して書かれ続けた「モテット」を耳にするのがより早い。
そこには、歳末の慌ただしくもうら寂しい時期に、ひとり静かに部屋に佇んでじっくり聴くに相応しい見事な音楽たちがある。
19世紀中頃からのJ.S.バッハ復興の機運に伴って研究熱心なブラームスが、バッハの影響を強く受けて作曲した「モテット」。聖書を原典にしているが、テキストにドイツ語という母国語を使っているところこそが外国語に不慣れだったヨハネスの真骨頂か・・・。何より言葉のニュアンスの隅々まで「想い」が行き渡る、そんな印象。
現代の、特に日本人が忘れてしまっているであろう本当の意味でのスピリチュアリズムというものが19世紀西洋音楽の多くには感じられるが、その最右翼はブラームスではないかと思うほど。決して浮つかず、地に足の着いた「信仰告白」。彼が生涯独身を貫いた、否、そうでなければならなかった理由は単に「臆病者」ではなく、この世界が「幻想」であることを見抜いていたからなのでは、と先のモテットを聴いて考えさせられた。
さて、2011年もあと3日。来るべき激動の2012年をどう生きてゆくか。
ごちゃごちゃ「考えず」にただできることをひたすら楽しむことかな。「道楽」なり。