恐いお姉さん(笑)

身近な人でも有名な人でも、人の生き様を見てゆくことは面白い。
今回の「早わかりクラシック音楽講座」は事情により少しばかり変則的なプログラムにした。いつもなら第1部は愛知とし子によるピアノ演奏なのだが、今回は「音浴」に。40分ほどピアノの下に潜り込んでもらって直に生音を体験していただいた。
実は僕自身も今回が初体験で、ピアノの音に脳みそがぐるぐるとかき回されるような感覚に襲われ、過去の記憶などが沸々と蘇り、何とも言えない肯定感に包まれるように感じた。
ちなみに、本題はファニー&フェリックス・メンデルスゾーンで、ソウルメイト的姉弟の人生についてポイントを絞り込んで俯瞰し、さらにそれぞれの作品をじっくり聴きながら進めさせていただいた。

ご参加いただいたある方の発言によると、「ワークショップZERO」にせよ「早わかりクラシック音楽講座」にせよ、自分のこれまでの人生を自ずと振り返る機会になり、必ず次なるステップに向けてのヒントが得られるのだと。各々相応の自信を持って提供している講座ゆえ、どんな方が参加されても必ずとは言えないが、少なくとも人生の中で挫折や問題を経験し、それを乗り越え、どんな時も前向きに生きようとする方にとっては値千金となる体感がこれらの中にあると確信する。

今回のメンデルスゾーンについての考察もとても勉強になった。ローマは一日にしてならず。神童、天才というのは一夜にして生まれたものでなく、周囲の教育や本人たちの努力が必ず影響しているものなのだとあらためて実感した次第。
夏日に戻った翌朝、思い起こすかのように、そして感謝の意を込めてメンデルスゾーン。彼の音楽は、そう、こんな日の午前にぴったり。

メンデルスゾーン:八重奏曲変ホ長調作品20
ベートーヴェン:七重奏曲変ホ長調作品20
ウィーン八重奏団員

LP時代からの愛聴盤。「真夏の夜の夢」序曲が17歳の作品で、この八重奏曲は16歳(1821年)の時の作品。いずれも日曜音楽会のために書かれたものだが、シンフォニックかつリズミックな曲調で、おそらくこれも相当にファニーのアドバイスを得ていることだろうと推測される。

ちなみに、1821年はフェリックス・メンデルスゾーンがゲーテの知己を得た年。この頃、ファニーは弟をまだまだ指導する立場にいたようで、フェリックス宛て次のような手紙を書いている(以前も紹介したが)。
「ゲーテのところへ行ったら、目と耳を全開にするんですよ。そう忠告しておくわ。それからあなたが帰ってきてゲーテが言ったことを一言残らず話してくれなかったら、私たちの間柄もこれっきりだと思いなさい。どうか忘れずにゲーテの家をスケッチするのよ。私も楽しめるから。それが実物そっくりに上手に描けたら、それを私の音楽の記念帳にきれいに写してくれなければだめよ。・・・」(『もう一人のメンデルスゾーン』山下剛著

恐いお姉さんだ・・・(笑)


2 COMMENTS

雅之

こんにちは。

最近、石原あえか氏による、『大地の記憶 : 《玄武岩論争》から《氷河期》の発見まで : ゲーテと近代地質学についての一考察』という、個人的にとても興味深いテーマの論文を読みました。
http://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/detail.php?koara_id=AN10032372-20070101-0204302
(ダウンロード必要)

その中の、「1. 博物館コレクションとフィールドワーク」によると、
・・・・・・18世紀の大地にまつわる《記憶》を考えてみると、まず上流知識階級で鉱物や化石の収集が大流行していたことに思い至る。これらの標本は、収集者の知的好奇心、地球内部の神秘的な出来事への興味、自然哲学への知識を誇示するものだった。ゲーテも1780年以降、鉱物標本の収集に着手しており、現存する彼の鉱物標本は約18,000件にのぼる。有名な個人所蔵のコレクションを見せてもらうこともあった。なお、後年、ゲーテは馴染みの湯治先カールスバード(現在のチェコ・カルロビヴァリ)の石屋ミュラーに協力し、自ら販売用コレクションの作成と解説書執筆を行っている。・・・・・・
ということらしいです。

鉱物標本18,000件って、ゲーテ、とんでもない鉱物オタクやん!!(笑)
でもそれ、もう当時から、上流知識階級では普通だったのか!!

さて、メンデルスゾーン姉弟が、どのくらい鉱物についてゲーテから学んだのでしょうか?(笑)
あるいは、この話題には無視を決め込んでいたのか?(笑)

いや、まったく影響を受けなかったとばかりは言いきれないのでは?
むしろ、ゲーテから教わった鉱物など自然科学の知識が、作曲のインスピレーションに大いに役立ったケースもあるのではないでしょうか?

・・・・・・フィンガルの洞窟は、スコットランド・ナショナル・トラストが所有する自然保護区の一部、スコットランドのインナー・ヘブリディーズ群島の無人島であるスタファ島に存在する海食洞である。 全体に六角柱状の柱状節理が発達した玄武岩中に形成されている。同じく古い溶岩流に発達した北アイルランドのジャイアンツ・コーズウェーの柱状節理(世界遺産)と構造的に同じものである。

柱状節理は高温の溶岩が冷える過程で、六角形の割れ目が生じるためにできる(泥が乾燥するときに縮みながら割れるのと似ている)。溶岩塊が冷えて縮むにつれ、ひび割れが表面から徐々に溶岩内部に伸び、六角形の柱群を形成する。これが後に波浪の浸食を受けて形成された洞窟地形である。

その大きさと自然にアーチ状に曲がった天井、そして波のこだまが生む不気味な音は、天然の大聖堂の雰囲気を与えている。洞窟のゲール語の名前 Uamh-Binn は「歌の洞窟」を意味する。

この洞窟は、18世紀の自然主義者ジョゼフ・バンクスによって1772年に「発見」された。そして、18世紀スコットランドの詩人・歴史家のジェイムズ・マクファーソンの叙事詩によって「フィンガルの洞窟」として知られるようになる。この詩は、詩人本人によって古いスコットランド・ゲール語の詩に基づいたとされる『オシアン詩集』に含まれ、フィンガルというのはその主人公の名である。フィンガルはアイルランド神話の英雄フィン・マックール(Fionn mac Cumhaill)にあたる。マクファーソンが「白い異邦人」を意味するゲール語であるフィンガルという名をこの人物にあてたのは誤解であるようである。というのも古ゲール語では、フィン・マックールは「フィン」(Finn)として登場するからである。ジャイアンツ・コーズウェーの伝説によると、フィン(Fionn / Finn)は、アイルランドとスコットランドの間に玄武岩の街道を造ったという。

作曲家フェリックス・メンデルスゾーンは1829年にこの地を訪れ、洞窟の中の不気味なこだまに霊感を得て、演奏会用序曲『ヘブリディーズ諸島(フィンガルの洞窟)』作品26を作曲した。この序曲により「フィンガルの洞窟」は観光地として有名になった。・・・・・・・ウィキペデア 「フィンガルの洞窟」より
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%AC%E3%83%AB%E3%81%AE%E6%B4%9E%E7%AA%9F

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岡本 浩和

>雅之様
こんばんは。
ゲーテの地質学についての考察というのは興味深いテーマですね。
しかし、雅之さんの守備範囲の広さには毎々驚かされます。雅之さんが鉱物ヲタクであるとは存じ上げておりましたが、学術論文まできっちりと読まれているとは知りませんでした。

しかしながら、ご推測のとおり、メンデルスゾーン姉弟はゲーテの影響を相当に受けているでしょうから、鉱物についての講釈も聞いていないとは言い切れませんよね。地質学に興味を持ったお蔭で数々の名作が生まれ得たということもあながち間違いでないように思います。

ますます彼らについて勉強したくなってきました。
いろいろとありがとうございます。
※しかし、3年前に初めてお会いした頃のレベルとは格段に進化されていますよね!本当に見習いたいほどです。

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