平均律クラヴィーア曲集

システム思考ワークショップを終えて帰宅が午前様。
もちろん少々打ち上げをやっていたから。
ここ数回はミニ・ワークショップという形で実施しているので、どうしても尻切れトンボ的になってしまうのが心残り。このあたりは別途振り返りフォロー講座として近いうちに開催しようと目論んでいる。
ビールゲームの凄い点は、ゲームそのものは淡々と機械的に進行してゆくのに対して終了後の振り返りで皆一様に叫び声をあげて、目から鱗状態になるところ。
いかに「全体観」が大切かがわかっていても、人間誰しも部分思考に陥り、自分のことでせいいっぱいになってしまうもの。それを、余計な思い込みを捨て、綿密なコミュニケーションでカバーしないといけないのだからやっぱり難しい。
ということで、次回の「システム思考ワークショップ」は3月20日(祝)の18:15から。ミニ版の開催はおそらく次が最後になるので(それ以降は半日コースに拡大して実施する予定)ぜひたくさんの方にご参加いただきたいと願う。

深夜に癒しのバッハ。
ここはもう「前奏曲とフーガ」しかあるまい。平均律クラヴィーア曲集第1巻の適当なところからかけてみる。

J.S.バッハ:平均律クラヴィーア曲集第1巻BWV846-869
ヴァレリー・アファナシエフ(ピアノ)(1995.4.10-14録音)

アファナシエフの印象は、気難しさと小難しさ。
ブラームスの後期小品集ショパンのノクターン集、あるいはマズルカ集などは初めて聴いたときその深遠さと巨大さに相当感激したものだが、基本的に考え過ぎの、頭で作った音楽に聴こえてしまうところが難点(実際にオペラシティで聴いたリサイタルも今一つの印象だった)。
しかしながら、このバッハは違う。おそらくショスタコーヴィチが脳天を直撃されたときの衝撃のような静かな破壊力がある。バッハが平均律というシステムを完成させたことは音楽史的にみて画期的な事件だろうが、そもそもこの平均律というシステムが四角四面の枠のように音楽家を苦しめてきたともいえまいか。素人的な思考でしかないけれど。

まぁ良い。屁理屈抜きに今夜はバッハを堪能しよう・・・。良い会だった。


2 COMMENTS

雅之

おはようございます。

>平均律というシステムが四角四面の枠のように音楽家を苦しめてきたともいえまいか

おそらくそうだと思います。
CDのフォーマット「16bit・44.1kHz」、昨日までの4対3テレビの走査線「525本(有効 走査線480本)」のようなもので、本当は物足りない規格かもしれず、そろそろ新しく世に出る音楽は、この便利で窮屈な平均律の枠を超える必要があるのではないですかね。

でないと、誰が何をやっても「既視感」だらけになるのではないでしょうか?

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岡本 浩和

>雅之様
こんにちは。

>でないと、誰が何をやっても「既視感」だらけになるのではないでしょうか?

おっしゃるとおりです。
創造と破壊は同一ですからね。

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