「ロメオとジュリエット」第2組曲第1曲「モンタギュー家とキャピュレット家」ラストの大見得を切るところも相変わらずのゲルギエフ節。久しぶりに実演を聴いて、世間で何といわれようと、やっぱりワレリー・ゲルギエフは素晴らしい指揮者だと思った。
正直、あまり期待はしていなかった。ダニール・トリフォノフについても一般情報に疎く、名前すら知らなかったくらい。しかし、本当に驚いた。これほど繊細でありながら大胆なチャイコフスキーは初めてかも。第1楽章冒頭のカデンツァから夢見るようなピアノ・ソロはデュナーミクといいアゴーギクといい、何という遊び心に富んだ、しかも何と芸術的な色彩に溢れていたことか・・・。テンポは揺れに揺れ、バックのオーケストラともども音楽はうねり、あまりの「浪漫さ」に言葉を失ったほど。いや、「浪漫的」という言葉ではまったく言い表しがたい衝撃的、耽美的なチャイコフスキー。恐れ入った。
第2楽章の憂愁も、ピアノはごく少量の音だけでチャイコフスキーの心を奏でる。そして終楽章アレグロ・コン・フオーコの圧倒的前進性に奏者の急進的エネルギーを感じ、突如としてブレーキのかかるフレーズに聴く者は常にハッとさせられた。
トリフォノフはまったくヴィルトゥオーゾ・ピアニストのようだが、とはいえ、単に轟音で楽器を鳴らしまくるタイプではない。徹底して強音を披露したかと思えば、次の瞬間には囁くようなうっとりする弱音に支配される。あの自然なフレージングに舌を巻いた。
それと、何だかグレン・グールドの魂が乗り移っているのではないかと思ったくらいピアノを弾く姿勢がグールド張りに前傾で、そのためかどうなのかニュアンス豊かな音楽が常に響いていた。
素晴らしかったのはアンコール。おそらく自らアレンジしたものだろうが、「こうもり」序曲の圧倒的音響に卒倒・・・。もう1曲、ラフマニノフっぽい音楽だけれど、初めて聴いたように思っていたものは、何と本人自作の「ラフマニアーナ」第1曲だと。すごかった。完敗・・・。
マリインスキー歌劇場管弦楽団2014年日本公演
2014年10月18日(土)15時開演
所沢市民文化センター ミューズアークホール
ダニール・トリフォノフ(ピアノ)
ワレリー・ゲルギエフ指揮マリインスキー歌劇場管弦楽団
・プロコフィエフ:バレエ音楽「ロメオとジュリエット」より
―第1組曲第5曲「仮面」
―第2組曲第2曲「少女ジュリエット」
―第2組曲第1曲「モンタギュー家とキャピュレット家」
・チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番変ロ短調作品23
~アンコール
・ヨハン・シュトラウスⅡ世:喜歌劇「こうもり」序曲(ピアノ独奏版)
・トリフォノフ:ラフマニアーナ~第1曲
休憩
・チャイコフスキー:交響曲第6番ロ短調作品74「悲愴」
休憩後は、熱に浮かされた、嵐のような「悲愴」交響曲。手兵マリインスキー劇場管との自家薬籠中の作品に、ゲルギエフの内燃するパッションと、それでいながら実にクールな真意を発見した。燃えに燃えながら、決して踏み外すことのないあくまで冷静なチャイコフスキー。
第1楽章主部アレグロ・ノン・トロッポ第1主題は強めの音で入り、一見さらっと流しながら第2主題では一転、音楽は粘りに粘り、これぞ「19世紀ロシアン・ロマン」の態を体現する。再現部での圧倒的爆発と、稀にみる加速度的前進に僕たちは手に汗握ることを強いられる。今日のクライマックスはここ。
そして、意外に快速ながら愉悦に溢れる第2楽章と激烈さのうちに在る第3楽章アレグロ・モルト・ヴィヴァーチェが続けざまに演奏され、最後の音が鳴りやまないうちに終楽章アダージョ・ラメントーソの幕が切って落とされた。本来ならこの最後の楽章はチャイコフスキーの遺言というべき哀感に満ちるものとなるはずだが、ゲルギエフの解釈は違う。
僕の直観では歓びだ。やはり、チャイコフスキーはまさかこの初演の数週間後に亡くなるとは思ってもいなかったということ。ともかくすべてがお世辞抜きに良かった。
ところで、残念ながら、今日の聴衆は決してお行儀が良いと言えなかった。
第1楽章展開部直前にバス・クラリネットの弱音がかき消されるほどの遠慮のない大きなくしゃみが。あと、チラシやプログラムのがさがさ音などなど・・・。満員の聴衆による最後の大拍手喝采、スタンディング・オベイションという状況こそ大変素晴らしかったが、それだけに余計に・・・。まぁ、小言は止そう。それを打ち消すだけの素晴らしい演奏が繰り広げられたのだから。
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私も14日、サントリー・ホールで聴いてきました。ショスタコーヴィチ、交響曲第8番、Op.65、ハ短調は名演でした。今日、ゲルギエフのものとムラヴィンスキーのCD、スコア、ショスタコーヴィチの子どもたちが語る父ショスタコーヴィチという本を買いました。
ショスタコーヴィチでは、ソレルチンスキーのものもあり、今から30年前、若林健吉訳で出たものの、誤訳だらけだったため、日本音楽舞踊会議の機関誌「音楽の世界」でこの件を取り上げた人がいました。いわゆる「若林事件」でした。若林健吉氏は日本シューマン協会創設者で、代表を務めました。この件で日本音楽舞踊会議に喧嘩を売ったあげく、持病の肝炎がもとで亡くなりました。音楽団体の代表が他の音楽団体に喧嘩を売るようなことをして、あのようなことになったことは身から出たサビですね。
[…] 期せずしてファツィオリの聴き比べ。 3年ぶりのダニール・トリフォノフ。彼の弾く瞑想的弱音に痺れ、決してうるさくならない強音に興奮した。背中を丸め、頭を垂れて、まるでジャズ・ピアニストのような姿勢で臨む、強烈なアタックと愛撫するような恍惚が錯綜する渾身のプロコフィエフ。音楽は繊細であり、また大胆で、ロマノフ王朝末期の、宗教的信仰と現実的叛逆の相反(あるいは統一)を見事に言い当てる。実に凝縮された音楽美。 特に、全楽章を通じて頻出するカデンツァでのトリフォノフの独奏は技術的にはもちろんのこと、音楽的にも最高の出来を示し、懐かしい19世紀ロシア的憂愁と反骨の20世紀モダニズムの応酬に僕は心底感激した。 トリフォノフのプロコフィエフを聴けただけで本日の公演に来た価値大いにあり。 […]
[…] 東京交響楽団との「悲愴」が素晴らしかった。もちろん手兵マリインスキー歌劇場管弦楽団との「悲愴」にも僕は痺れた。指揮棒を持たず、両手をわなわなと震わせて指揮するゲルギエフの「悲愴」は飛び切り情熱的で、また美しかった。 […]