朝比奈隆指揮東響のブルックナー交響曲第8番(1993.11.13Live)を聴いて思ふ

朝比奈隆の全盛期は70年代、とくにその半ばであった。80年代は力が弱くなった。体調も悪く、演奏前の楽屋で、「死ぬのはいいんです。ただ、せっかく集まってくれたお客さんに悪いですから」と苦しそうに言ったこともあった。
しかし、90年代に入ると不死鳥のように蘇り、ムラはあったものの、出来の良いときは、音楽が最晩年の神々しさを湛えるようになった。とくにシカゴへ行ったあとの数年は、彼がたどり着いた最後の至高の境地だったのではあるまいか。
宇野功芳「指揮者・朝比奈隆」(河出書房新社)P267

残念ながら、僕は70年代の朝比奈を知らない。
80年代初め、初めて朝比奈隆の実演に触れた。宇野さんが「力は弱くなった」と言うけれど、僕の記憶では、東京カテドラルの朝比奈も東京文化会館の朝比奈も、サントリーホールの朝比奈も、どのコンサートもとても力強く、良かった。
それでも、宇野さんが言うように、確かに90年代の朝比奈御大はもっとすごかった。
中でもアントン・ブルックナー。
朝比奈隆のブルックナーは特別だ。
あの武骨で一見色気のない重厚な響きと確信的で揺るがない造形に、僕はいつも心奪われた。

例えば、第8番ハ短調第1楽章アレグロ・モデラートの神秘。また、第3楽章アダージョの崇高さ。そうして、絶美は終楽章の、全楽章の主題が交錯し、大伽藍を形成するコーダの堂々たる終結!聴衆の大歓喜の模様が、今もまざまざと眼前に蘇る。

・ブルックナー:交響曲第8番ハ短調(ハース版)
朝比奈隆指揮東京交響楽団(1993.11.13Live)

朝比奈隆のブルックナーは何年の時を経ても決して廃れない。
どころか、時間が経過するにつれますます説得力を増す。
長い時間をかけて、そういう洗脳を僕は受けてきたのだと思う。

ところで、朝比奈隆が語る第8番にまつわる面白いエピソードがある。

一遍ね、勘違いでとんだことをしでかしたことが・・・。東京交響楽団で〈8番〉をやった時にね、あの曲もアダージョ楽章の同じようなところで、シンバルとトライアングルが入るんです。これは全く私の勘違いなんですけど、最初の練習の時、打楽器奏者が2人座っているので、〈7番〉のつもりになってしまい、「あ、シンバルとトライアングルは、もう使わないから、帰ってよろしい」って言ったら、彼ら「ああ、そうですか」って帰っちゃった。「しまった」と直ぐに気がついたんだけれどもう引込みがつかなくなってね(笑)、そのままやったんですよ。
全くなしでね。こっちは、すっかり居直ってね、それで、あそこの転調してトゥッティに入るところ、なにしろ打楽器やめたんだから、オーケストラ自体がきちんとしたアクセントつけないとダメだからと何遍もけいこして、それで押し通してやったんです。やってみると、悪いものじゃなかったですね。
どうも、あの人のシンフォニーは、シンバルのような、それも全曲のなかで一発だけ出るような・・・あれはない方が・・・。まあ、その〈8番〉の件は、ぼくの考え違いですけどね(笑)。
金子建志編/解説「朝比奈隆・交響楽の世界」(早稲田出版)P261-262

何という頑なさ。今、僕たちが世界に冠たる朝比奈のブルックナーを享受できるのは、いかにも職人気質の朝比奈の、プライドと気風の良さの入り混じる実験精神ゆえということか。

ちなみに、僕は朝比奈御大が亡くなってからブルックナーの実演をほとんど聴いていない。
ブルックナーの音楽を封印したいと思ったわけではないのだけれど、幾度も耳にした御大のあの愚直でありながら崇高な音響が忘れられず、上書きしたくないという想いに駆られるから。振り返ってみると、朝比奈逝去の翌年、大阪フィル東京定期で若杉弘の棒により第3番を聴いた。また、何年か前、飯守泰次郎指揮東京シティ・フィルで第5番も聴いた。それと、マレク・ヤノフスキ指揮N響による第5番をNHKホールで聴いたか。あ、エリアフ・インバル指揮東京都響で第6番も聴いていた。いずれにせよ17年間でその程度だ。いや、絶品を忘れていた。ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー指揮読響の第5番(泣く子も黙るシャルク版)。あれは凄かった。

 

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