続・牧歌、嵐のあとの喜びと感謝

beethoven_asahina_njpo.jpg僕が社会人になった頃は、ちょうど日本中がバブル景気に沸いていた時期だった。今から考えると、周囲のお金の使い方は半端でなく、20歳そこらの若造も少しばかり勘違いするくらい連日連夜飲み歩いてはお金をそこら中に落としていた、そんな時代だった。

ちょうど1年目の年度末、とある企業からの依頼で、1ヶ月近くにわたって日本中を巡り、金融に関する講演会(要はどうやって資産を増やすかということについてその道の専門家が講師に招いてのセミナー)を企画開催した。一時奨励金が出されるほど会社も儲かったのだが、それより何より、そのセミナーはどこの会場でも連日満員御礼が出るほどの盛況ぶりで、いかに当時の国民がお金に興味を持っていたかがわかる、ある意味「しあわせ」な時代だった。

ちょうど同じタイミングで、昭和天皇の崩御もあり、歌舞音曲禁止という前代未聞の事案にも遭遇できたし、ともかくイベント業界にいてこれほど面白い時期はなかった。

ちなみに、その頃、朝比奈先生は新日本フィルハーモニーとともに東京でのベートーヴェン・ツィクルスをスタートしたばかりで、第1回目の第9を聴いて、僕はそのあまりに巨大で深遠な表現に卒倒したのだが、何より、それを享受する聴衆たちの盛り上がりが特別なものだったことが忘れられない(あの頃は、企業のメセナ活動も活発でいわゆる「芸術活動」が頂点に達した本当に良き時代だった)。

ツィクルス第2回目は、第1交響曲と第3交響曲「英雄」の組み合わせで、ちょうど前月に亡くなられた天皇を追悼してのコンサートになった(それは、終演後の楽屋で朝比奈御大が一世一代と称したほどの圧倒的名演だった)。そして、その翌々月のツィクルス第3回目、ちょうど先の「金融セミナー」の仕切りの傍ら、サントリーホールに駆けつけて聴いた「田園」交響曲がこのツィクルスの白眉だったと僕は断言する(それくらい、言葉で表現しえない、宇宙につながるような大きな音楽は後にも先にも経験したことがない)。

ところで、今まで出逢った結構な人たちが、過去の体験、それもトラウマになるようなマイナス体験を棚に上げ、というよりも記憶の隅っこに追いやり、まったく思い出せないどころか、そんなことはなかったことにしてしまっている状況に出くわす。そんなとき、いつも僕がアドバイスするのは、どんな体験も必要なことだったのだから、顔を背けず、否定せず受け容れることが肝心だということ。そう、それがあっての「今」だから。「雨降って地固まる」という諺どおり、すべてにはリズムがあり、良い時もあれば悪い時もあるというのは自然の掟。嫌なことも、辛いことも、後に笑い話で語れるような時が必ず来るもの。

昨日、ベートーヴェンの「田園」交響曲を久しぶりに聴いてみて、ますますこの音楽に圧倒された。特に第4楽章から終楽章にかけての流れは完璧で、第5楽章のコーダ直前の「喜びのクライマックス」とコーダの「祈り」は何度聴いても戦慄を覚えるほど神業のよう。

ベートーヴェン:交響曲第6番ヘ長調作品68「田園」
朝比奈隆指揮新日本フィルハーモニー交響楽団(1989.4.6Live)

僕にとって生涯最高の実演は、先にも書いた朝比奈隆&新日本フィルによるサントリーホールでのツィクルス時のもの。これは音盤で聴いても実に感動的で、以降朝比奈先生の実演にはなんども触れているし、他の指揮者の演奏にも触れているが、これ以上のものはない。

これも「バブル期」の賜物というのだろうか・・・。


3 COMMENTS

雅之

おはようございます。
今朝は少しばかり個人的な思い出を・・・。
朝比奈先生&新日本フィルのベートーヴェン・チクルスの映像(映像監督:実相寺昭雄 私はLDで所有)には、2001年に47歳で亡くなった白尾偕子さん(新日本フィル ヴィオラ首席奏者)の、若き日の演奏するお姿がしっかりと映っています。
白尾さんには、アマ・オケの弦トレーナーとして何回かお世話になりましたが、厳しいなかにも、我々下手なアマにも分け隔てのない気さくな人柄が大変魅力的でした。何回か世田谷区の御自宅にお邪魔し、打ち合わせの合間に、音楽についての楽しいお話を伺ったことも、懐かしい思い出です。
そして何より御自宅で聴かせていただいた、彼女の奏でるヴィオラの歌心に溢れた深々とした音色に、惚れぼれしたものでした。
もう、ネットで検索しても彼女についての記事は、本当に少なくなってしまいました。
http://www3.plala.or.jp/kachishi/orch014.html
http://www6.plala.or.jp/otoma/ongakuka/ongakuka.html#白尾偕子
でも、私は白尾さんのご恩と思い出は、一生忘れません。
岡本さんのブログを読み、昨日はヘッツェルや昔のウィーン・フィルのメンバーのことを、本日は白尾さんを懐かしみました。名門オーケストラには、彼ら、彼女たちの音楽魂がよき伝統となり、今も脈々と生き続けているのでしょう。

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岡本 浩和

>雅之様
こんにちわ。
素敵な思い出のお話ありがとうございます。
ご自身でもヴィオラを弾かれる雅之さんならではのエピソードですね。何だかジーンときました。
>名門オーケストラには、彼ら、彼女たちの音楽魂がよき伝統となり、今も脈々と生き続けているのでしょう。
同感です。

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アレグロ・コン・ブリオ~第4章 » Blog Archive » 人生の空虚感や孤独感を無くす最良の方法

[…] 朝比奈先生が亡くなって早10年が経つ。80年代中頃から東京公演のほぼすべては追っかけたが、超絶名演、駄演と様々で、本当にその日にその場に居合わせてみないと何ともわからないところが朝比奈隆の興味深いところだった。ゆえに、一度たりとも聴き逃すまいと90年以降のチケット争奪戦においては僕も必死だった・・・。 まだまだ、余裕で演奏会の切符が手に入った80年代掉尾の思い出といえばかの「ベートーヴェン・ツィクルス」。思わずのけ反る胸のすくような快演を披露してくれた、ちょうど昭和から平成への転換期のそれはいまだに一生の宝と思えるほど僕にとって最高の経験だった。 […]

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