
20世紀前半、政治に翻弄された音楽家たち。
中でもブルーノ・ワルターの生涯の詳細な回想は貴重だ。
さきにも触れたように、政権掌握後の初期における国民社会主義は、まだ或る種の領域においては、分別があるという外見を、それどころか合法性の外見さえをも得ようと努めていた。おそらくはこれによって、一部ナチの動きに敵意ないしは不審の念を抱いていた、比較的古い世代の人たちをしずめようとしたのである。私の家財道具をベルリンからウィーンに困難なく運びこめたのもこのおかげであった。それどころか、驚いたことに移住後数か月してから、馬鹿にならない金額の税が国から返還されてきさえした。もっともこれは、きちょうめんな昔の官吏がまだたくさんそのままの地位についていて、おそらくはこうした方法で、もはや口にはだせない気持を証明したがったせいでもあるらしかった。
~内垣啓一・渡辺健訳「主題と変奏―ブルーノ・ワルター回想録」(白水社)P418
不穏な前兆ともとれるが、この頃はまだ世界は、国民は、ナチスの恐ろしさを知らなかった。
オーストリアにおけるナチの煽動活動はたえず感じられたけれども、それでも30年代のウィーンでの生活には、昔の魅力がまだたくさんあった。ドイツおよびオーストリアのナチズムに対する政府の戦闘的な態度と、はじめの頃ムッソリーニや西欧列強が見せた援護とによって、安全の感情が生みだされた。昔の友人では、アルバート・シュピーグラーと夫人のニーナがまだ生きていて、以前よりも親密につきあった。しかしニーナは悲しむべき健康状態にあり、揺るがぬほど大きな彼女の朗らかさも、肉体の苦痛による気おちにはうち勝てなかった。
~同上書P422
八面六臂の活躍を見せるワルターにあって、そんなことはお構いなしにとナチスは魔の手を忍ばせた。1938年にはウィーンを追われ、すべての財産を没収されることになるワルターが、その前年に録音したモーツァルトの鎮魂曲。
世の中の動きに、潜在意識では気づいていたのだろうかと思わせるほどの、内なる慟哭が見てとれる渾身のレクイエムは、引きずるようなテンポで僕たちを刺激する。
パリ万国博中の、パリはシャンゼリゼ劇場でのライヴ録音。
まるでワルターの予知能力の賜物ではないかと思わせるほど、重く、暗い演奏に、モーツァルトのレクイエムはこうでなくては、と知る。果して何が彼にそうさせたのか。
スペイン内乱で、焦土と化したゲルニカの街を描くピカソの絵画は有名だが、まさにピカソ自身がこの同じ時期に描き上げたものなのだ。
世界を取り巻く殺戮の嵐こそモーツァルトが描かんとした自身を弔う音楽と共鳴するかのように奏される。
冒頭、「入祭唱」から粘る音調は、ワルターの欧州への惜別の念が刻印されるのか。
続く「怒りの日」の厳しさ。
一方、ジュスマイヤーの完全創作となる「サンクトゥス」の安らぎ。さらには、「アニュス・デイ」の永遠。これらはブルーノ・ワルターの指揮ゆえの産物なのかもしれぬ。
90年近く前のライヴ録音であるにもかかわらず、音は明瞭で鑑賞に十分耐える。
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト234回目の命日に。
ワルターのザルツブルク音楽祭ライブ(1956.7.26)を聴いて思ふ
ハイドンとモーツァルト
テ・デウム、最大の勝利・・・ 