哀しみが喜びに変わる

20数年前、ホロヴィッツが亡くなるまさに数日前に録音されたという、いわゆる「ラスト・レコーディング」を初めて聴いたとき心底感動した。83年の初来日の際の、吉田秀和氏をして「ひびの入った骨董」といわしめた不本意な演奏から数年後の演奏は、最晩年の飛び切りの透明感が獲得されており、これこそホロヴィッツ、巨匠の面目躍如たるピアニズムだと快哉を叫びたくなったものだ。何より曲目すべてが初録音だというその選曲の妙。中でも、ワーグナーの「イゾルデの愛の死」をフランツ・リストがピアノ編曲したものと、同じくリストがJ.S.バッハのカンタータの主題を前奏曲としてピアノ・アレンジした作品の、美しく官能的でありながら、それでいて少しばかり枯れて、しかも高貴な圧倒的な響きに僕は打ちのめされた。
実はリストは、ピアノ稿(こちらは変奏曲バージョン)の完成から3か月後にオルガン稿も残しており、25分近くに及ぶそれも敬虔な祈りに満ち、真に捨て難い魅力を持つのだが、そういえば、これらの楽曲のもとになったカンタータについてはほとんどきちんと聴いてこなかったと思い出し、カール・リヒターが70年代にミュンヘン・バッハ管弦楽団&合唱団と共に録音したカンタータ集から1枚を取り出して聴いてみた。

J.S.バッハ:カンタータ第12番「泣き、嘆き、憂い、怯え」BWV12
アンナ・レイノルズ(アルト)
ペーター・シュライヤー(テノール)
テオ・アダム(バス)
カール・リヒター指揮ミュンヘン・バッハ管弦楽団&合唱団

一聴、震えが止まらない。全体的にこのくすんだような音調が、晩秋の身に沁みる寂しさを一層掻き立てるかのようで、多少安定を欠く(?!)今の心境に見事にマッチし、思わず涙がこぼれそうになったほど。大袈裟だけれど、本当に素敵な音楽がステレオ装置からとはいえ奏でられていることに感謝、感激したのである。

ちなみに、この作品はバッハがワイマール宮廷楽団コンサート・マスターとして演奏した2曲目の教会カンタータらしいが、何より歌われている内容が素晴らしい(概要は下記、「作曲家別名曲解説ライブラリー」参照)

「憂いは多いが、それは喜びに変わるものである。神の国に行くには多くの苦難を経なければならない。苦しむキリスト教徒にとって、キリストの受難は慰めである。だからキリストの後を追って十字架を背負うのだ。雨の後には祝福の花が咲くのだ!神のなしたもうことはすねてよし!」

僕はキリスト教についてはまったく疎いが、すべての体験が今につながり、どんな経験も意味があり、一切の無駄がないものだという内容に首肯する。特に、このカンタータの第2曲は「ロ短調ミサ曲」にも転用されており、その静謐な美は何物にも代えがたい魅力を持つ。リヒターの演奏については何も言うことなし!!

ところで、リストがこのバッハの偉大な作品の編曲を思いついた背景には、息子ダニエルの早世(1859年)があり、また、その3年後には産後の肥立ちが悪かった娘ブランディーヌも亡くなったという事実もある(その時にはこの同じ主題を使って変奏曲を作曲。後にオルガン稿も創作)。

フランツ・リストお気に入りのバッハの名曲。原曲とリスト編曲のピアノ版、オルガン稿、それらを今夜は繰り返し幾度となく聴いた・・・。


2 COMMENTS

雅之

おはようございます。

私もキリスト教は、それほど詳しくないんですが、親鸞の教えにとても似ているっていうのが学生時代からの実感です。キリスト教も親鸞も、どんな人間にも原罪があることを前提としているのですよね。

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(ウィキペディアから引用)

パウロの言葉
「私には自分のしていることがわかりません。なぜなら私は自分がしたいと思うことはせず、したくないことをしてしまうからです。もし、私がしたくないことをするなら、律法を善いものであることを認めます。もはや、したくないことをするのは私ではなく、私の中にある罪なのです。私は自分の肉体の中には何も良いものがないことを知っています。 正しいことをしたいという気持ちはあっても、できないのです。私は自分のしたいことをするのではなく、したくないことをしています。もし私が自分の望まないことをするなら、それは私の中にある罪のしわざなのです。私は自分がしたいことをしようとするとき、すぐに悪がやってくるという法則を発見しました。私は神の律法のうちに喜びを見出していますが、自分の奥底ではわたしの体の中には、別の法則があって心の法則と戦い、わたしを罪のとりこにしていることがわかります。私はなんと悲しい人間でしょう。だれが死に定められたこの肉体から救い出してくれるのでしょうか。」 (ローマの信徒への手紙7:15-24)

このジレンマの解決もパウロは見出している。「肉体によって弱められた律法にできなかったことを神はしてくださいました。つまり自分のひとり息子を罪の体のかたちで世に送り、わたしたちが肉でなく律法を全うして生きられるように、肉のうちにある罪を処断してくださったのです」(ローマの信徒への手紙8:3-4)

新約聖書で原罪について最もよくその思想を語るのはパウロだが、イエス・キリストの言葉にも原罪を示唆するものがあると解釈される。それは「なぜ、わたしを良いというのか。神お一人のほかに良いものはいない」(マルコによる福音書10:18)や、「私はぶどうの木である。あなたたちはその枝である。私につながるものは豊かに実をむすぶが、私から離れてはあなたがたが何もできない」(ヨハネによる福音書15:5)といった言葉である。

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(親鸞が説く)「悪人正機」の意味を知る上で、「善人」と「悪人」をどのように解釈するかが重要である。ここでいう善悪とは、法的な問題や道徳的な問題をさしているのではない。また一般的・常識的な善悪でもない。親鸞が説いたのは仏の視点による善悪である。

法律や倫理・道徳を基準にすれば、この世には善人と悪人がいるが、どんな小さな悪も見逃さない仏の眼から見れば、すべての人は悪人だと浄土真宗では教える。

悪人
衆生は、末法に生きる凡夫であり、仏の視点によれば「善悪」の判断すらできない、根源的な「悪人」であると捉える。
阿弥陀仏の光明に照らされた時、すなわち真実に目覚させられた時に、自らがまことの善は一つも出来ない極悪人であると気付かされる。その時に初めて気付かされる「悪人」である。
善人
親鸞はすべての人の本当の姿は悪人だと述べているから、「善人」は、真実の姿が分からず善行を完遂できない身である事に気付くことのできていない「悪人」であるとする。
また自分のやった善行によって往生しようとする行為(自力作善)は、「どんな極悪人でも救済する」とされる「阿弥陀仏の本願力」を疑う心であると捉える。
因果
凡夫は、「因」がもたらされ、「縁」によっては、思わぬ「果」を生む。つまり、善と思い行った事(因)が、縁によっては、善をもたらす事(善果)もあれば、悪をもたらす事(悪果)もある。どのような「果」を生むか、解らないのも「悪人」である。

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自分も含めた全ての人間が抱える「罪」を認めず、キリスト教や浄土真宗のポジティブな面だけを取り上げ「いいとこ取り」するのは最も卑怯! 地獄に落ちるかもよ(笑)。今年は、福島原発の事故で、そのことを強く感じさせられましたよ。

先日の、ご自分は「戦争のない、戦いというものを知らない星から来た」なんておっしゃるのは、単なる現実逃避だと思います。「世の中の仕組みを根本から変えなきゃダメだ」ともよくおっしゃいますが、具体論が無ければ評論家や三流政治家と同じで、ちっとも建設的意見ではありません。痛みを伴わせないで世の中の変革や改革など無理です。

自分は「悪人」だと心底気付いた時、本当の意味での他人への思いやりや優しさの心が生まれ、新たな道が発見できるのかも知れません。

※最近の愛聴盤
バッハ:マタイ受難曲 マクリーシュ指揮ガブリエリ・コンソート&プレイヤーズ
http://www.hmv.co.jp/product/detail/866127

・・・・・・合唱の歌い手がソロ曲も担当し、両者が一貫して表現されることで“魂のドラマ”としてのカンタータのメッセージがいっそう良く伝えられる。それを知ってしまうと、合唱団+外部ソリストという形には戻れなくなってしまう。・・・・・・礒山雅氏の解説より

そう、福音史家も、いやイエスでさえも、罪深い民衆のひとりなのです。そのことを気付かせてくれたマクリーシュ盤が、私にとって「マタイ」の新しい決定盤になりました。

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岡本 浩和

>雅之様
こんにちは。
毎々の厳しいお言葉ありがとうございます。
ちょくちょく軸がぶれてしまうときに、直球でアドバイスをいただけるのはありがたいことです。感謝いたします。

>自分も含めた全ての人間が抱える「罪」を認めず
>自分は「悪人」だと心底気付いた時、本当の意味での他人への思いやりや優しさの心が生まれ、新たな道が発見できる

善悪は人間が判断していることですからね。おっしゃるように誰しもが「原罪」というものを抱えてこの世に生まれてきているのだと思います。まずはその点に気づいて自らを改めてゆくこと、というよりそれを認めることからスタートしたいものです。

>福音史家も、いやイエスでさえも、罪深い民衆のひとりなのです

マクリーシュ指揮の「マタイ」、非常に興味深いです。聴いてみます。
ありがとうございます。

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