第32回マツオ・コンサート カルテット風雅/ローブ・カルテット/タレイア・クァルテット

どこの世界にあっても後進の、人材の育成は喫緊の課題だ。
第32回マツオコンサートを聴いた。
「次代の音楽界を担う若手弦楽四重奏団」という副題通り、ベートーヴェンが、メンデルスゾーンが、ヴァインベルクが、それぞれの特長を最大限に発揮し、悠揚に奏でられた。
天晴だ。

第31回マツオコンサート クァルテット風雅&ほのカルテット

室内楽専用ホールで、弦楽四重奏曲を聴く喜び。
1世紀前、マルセル・プルーストは自邸にカペー弦楽四重奏団を招び、ベートーヴェンを奏でさせたという。何という贅沢! 何という高貴さ!
次代もスタイルも当時とは到底異なるが、音楽を味わうという点においては同質だ。
感激した。

カペー弦楽四重奏団 ベートーヴェン 弦楽四重奏曲第14番作品131(1928.10録音)ほか

まずはカルテット風雅によるベートーヴェンの「ラズモフスキー第3番」。
紅一点は第1ヴァイオリンの落合真子。徐に、そして意味深く始まる序奏部アンダンテ・コン・モトの、楽聖ベートーヴェンが「傑作の森」で示さんとした革新的響きに僕は惹かれた。すぐさま移行する主部アレグロ・ヴィヴァーチェの燦然たる輝きに、カルテット風雅の明るい未来を想像した。第2楽章アンダンテ・コン・モト・クヮジ・アレグレットから第3楽章メヌエット・グラツィオーソへと、音楽は集中力をもって語られ、終楽章アレグロ・モルトに向けての推進力と漲るパワーは並大抵ではなかった。
ベートーヴェンの天才が見事に表現され、未来の「皆大歓喜」に向けての闘争と勝利がここにあった。

15分の休憩を挟み、黒一点ローブ・カルテットによるメンデルスゾーン。
前のベートーヴェンが素晴らしかったという印象に引っ張られたのか、個人的には、音楽が大味で、忙しく浮足立ち、少々うるさく感じられた(作品そのものの影響もあろうが、正直、何だか「心」が感じられなかったというのが本音)。

最後は、タレイア・クァルテットによるミェチスワフ・ヴァインベルクの弦楽四重奏曲。
明らかにショスタコーヴィチの影響下にある3つの楽章の弦楽四重奏曲は、真っ赤なお揃いのドレスに包まれた4人の女性による美しき饗宴だった。先のベートーヴェンと同じく、終楽章クライマックスに向けての緊張と高揚に僕は圧倒された。そして、ヴィオラ独奏の静謐で鋭い旋律に痺れた。4人のアンサンブルは見事に融け合い、一つになる瞬間多々。
ピアソラ風のアンコールがまた喜びに満ちていて良かったが、曲名は不明。
(としたところ、ショスタコーヴィチのポルカ!)(最高でした!)

弦楽四重奏曲の歴史を概観するような内容だったが、やはりベートーヴェンこそ原点であり、その革新性がバルトークやショスタコーヴィチにまで受け継がれ、そしてヴェインベルクらに至るのだとあらためて感じさせられた。

そうだ、私が先ほど作りあげた〈時〉の観念は、今こそこの作品にとりかかえるべきときだと告げていた。今こそ絶好の機会である。けれども—これから述べることは、私がサロンに入ってきて、老人らしく装った人びとの顔から、失われた時の観念を与えられたとたんに、たちまち私をとらえた不安を正当化するものだが—いったいまだ間に合うのだろうか。そして私はまだそれができる状態にあるのだろうか。精神にはその固有の風景があるけれども、それを眺める時間はほんの少ししかない。私は一本の小径を登る画家のように生きてきたが、その小径から見下ろす湖は、岩や木々にさえぎられて、画家の視野から隠されている。
マルセル・プルースト/鈴木道彦訳「失われた時を求めて13」「第七篇 見出された時II」(集英社文庫ヘリテージシリーズ)P253-254

音楽の創造される瞬間もこういうものなのかもしれない。
インスピレーションというのはそういうものだ。

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

アレグロ・コン・ブリオをもっと見る

今すぐ購読し、続きを読んで、すべてのアーカイブにアクセスしましょう。

続きを読む