中庸のコルトレーン

外は激しい雨が降る。まるで台風のようなひどい風も吹き、傘を飛ばされそうになる。そんな日には、室内で独り静かにジャズ音楽でも・・・。

コルトレーンのいわゆるゴールデン・カルテットのスタジオ録音を集成したアルバムを10数年前に購入したっきり、ほとんど手をつけずに棚の奥にしまっておいたのだが、「マイルス・デューイ・デイヴィスⅢ世研究」を読んでみて、やっぱり62年から65年というわずか3年間でこの不滅のカルテットが成し遂げた至高の作品群(個々のアルバムとしてはもちろん所有していたが、このセットには未発表トラックなど魅力的な楽曲が随分たくさん収録されていたので買ったものと思われる)を綿密に聴き込まないわけにはゆくまいと、1枚目からじっくりと聴いている(マイルスのアルバムにはどういうわけかそうそうおいそれと手を付けられない・・・汗)。初リーダー作と同じタイトルのインパルスにおけるゴールデン・カルテット第1作”Coltrane”を中心に、同時期に録音されながらアルバムには収録されなかった”Greensleeves”など数曲と第2作”Ballads”の前半6曲がDisc1に収められている。
短い楽曲でも、あるいは有名な旋律の楽曲でも、同時期のライヴほどの激しさは薄れているものの、いかにもコルトレーンらしいエネルギッシュなサックス・プレイが光る傑作群に陶酔気味・・・。

釈迦の言う「中庸」というのは、多くの場合「ちょうど良い加減、真ん中」と捉えている人が多いが、「矛盾、すなわち矛と盾のアフウヘーベン(止揚)である」と教わった。陰でも陽でもない、明でも暗でもない。しかし決して単純にその中心をとればいいのではない。それこそ「空(くう)」と同義なのだろうが、そう考えると「中庸」というのは難しい。判断せず、あるがままに。

整体をしていただいて、先生曰く、僕の場合左半身が硬いとのこと。大脳新皮質ばかり使っていて脳幹が鈍化気味なのだと。いわゆる爬虫類脳、もっと獰猛にということか・・・(笑)

The Classic Quartet-Complete Impulse! Studio Recordings-COLTRANE

Personnel
John Coltrane(ts, ss)
McCoy Tyner(p)
Jimmy Garrison(b)
Elvin Jones(ds)

インパルス以前のコルトレーンが、マイルスのまさに影響下にまだまだあったとするなら、インパルスでの、それもゴールデン・カルテットとの録音はいずれもが最高のバランスを保持した代物であり、奇跡的に「中庸」にあったバンドだったのではと思われる。あまりのスピードで進化し続けたコルトレーンの信仰心、あるいは思想に我々一般大衆がついていけなかったということも大いにあろうが、フリーに走って以降のコルトレーンの演奏は残念ながら偏り過ぎている(良し悪し、好き嫌いは別にして)。

ちなみに、演奏面、商業面両方において最高作だといわれるアルバム”Ballads”などは決して前向きとはいえない事情の下に制作されたものとのことだが(コルトレーンの音楽が難しくて理解できないというファンのために、プロデューサーのボブ・シールが企画したものらしい)、コルトレーンが決して力まずリラックスしてレコーディングしたことがかえって功を奏し、彼の全アルバムの中で最も愛される代表盤になったのだともいえる。

嵐のような日の夜、一人で聴くColtraneの”Ballads”はセクシーで、温かい。


2 COMMENTS

雅之

こんばんは。
>釈迦の言う「中庸」というのは、多くの場合「ちょうど良い加減、真ん中」と捉えている人が多いが、「矛盾、すなわち矛と盾のアフウヘーベン(止揚)である」と教わった。陰でも陽でもない、明でも暗でもない。しかし決して単純にその中心をとればいいのではない。それこそ「空(くう)」と同義なのだろうが、そう考えると「中庸」というのは難しい。

知れば知るほど、仏教の思想と量子力学は似ています。量子力学で「真空」とは、粒子と反粒子が対生成と対消滅を繰り返す“ゆらぎ”の状態にあるといいます。こんなこと、岡本さんには全然興味の無い分野でしょうが・・・。

※おすすめ本(気が向かれたらどうぞ)
「量子の社会哲学 革命は過去を救うと猫が言う」大澤 真幸 (著)  講談社
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http://www.kojinkaratani.com/jp/bookrv/post-59.html

>インパルスでの、それもゴールデン・カルテットとの録音はいずれもが最高のバランスを保持した代物であり、奇跡的に「中庸」にあったバンドだったのではと思われる。
>フリーに走って以降のコルトレーンの演奏は残念ながら偏り過ぎている(良し悪し、好き嫌いは別にして)。

コルトレーンを充分聴き込んだわけではないのですが、そんな感じはしますね。真の意味での「フリー」の極意とは、“ゆらぎ”ながらも絶妙なバランスを保持できることかも。

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岡本 浩和

>雅之様
おはようございます。

>こんなこと、岡本さんには全然興味の無い分野でしょうが・・・。

いえいえ、柄谷氏のレヴューを読んで俄然興味を持ちました。
何事にも好奇心を持ち、チャレンジしてみるのって大事だと思います。
物理学というのは昔からとても苦手な学問ですが、違った切り口、観点から考察してみると意外に面白くて理解できるものなんだと気づけるかもしれません(その逆の場合もありえますが・・・汗)。

>真の意味での「フリー」の極意とは、“ゆらぎ”ながらも絶妙なバランスを保持できることかも。

おっしゃる通りだと思います。生きる上での「自由」というのも、地に足が着いていることが条件だと思います。
凧がすっ飛んで行かないように凧ひもで一定に固定するように。

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