クレンペラー指揮フィルハーモニア管 ヒンデミット バレエ組曲「気高い幻想」(1954.10録音)ほか

1934年、ナチスがパウル・ヒンデミットを排斥しようとする中で、フルトヴェングラーは「ドイッチェ・アルゲマイネ・ツァイトゥング」紙上に「ヒンデミット事件」と題するヒンデミット擁護の論文を発表した。

私たちは、血統的にも純ゲルマン人である彼を、歴として「ドイツ的な」タイプの人間だとみなさざるをえないであろう。地味で職人的な堅実さ、率直で頑強な気質といい、また比較的に少ない感情吐露に見られる純粋さや謙虚さといい、彼はまさにドイツ的である。彼の手になる最新の作品、すなわちオペラ『画家マチス』による交響曲は、この印象を新たに確証するものであった。それは1934年3月の初演以来、各地できわめて大きな反響を呼び、しかも、これまで彼の味方でなかった人々にも強く働きかけた。すでに述べたように、これはヒンデミットの日和見めいた「転向」ではなくして、むしろあえて言うならば彼の出発点への復帰、自己自身への復帰を意味するものである。
フルトヴェングラー/芦津丈夫訳「音と言葉」(白水社)P101

フルトヴェングラーはヒンデミットの真価を認め、ナチスの横暴を非難した。

8か月前、この作品が発表されたとき、おそらく文化的な出来事に外部から介入することを無意識的に恐れたからであろうか、人々はまだ彼の平和をさして乱そうとはしなかった。ところで今日、その後に彼が新しい作品を発表したわけでもないのに、人々はあたかも怠慢を償うとでもいわんばかりに彼を公然と中傷しはじめ、結果はどうあろうとも、とにかく彼をドイツから追放しようとしている。そのためには手段を選ばぬということらしい。
~同上書P101-102

最終的にフルトヴェングラーはあらゆる要職を辞することになるのだが、あの時代、政治が文化にまで介入し、世界を(ある種)洗脳しようとした中で、公然と抗い、立ち向かうのはどれほど勇気が要ったことだろう。
(フルトヴェングラーの場合、勇気というより信念だったのだろうが)

同じ時期、クロール歌劇場時代のクレンペラーはヒンデミットとの交流が深く、彼の作品をいくつも演奏していたようだ。

1933年以後に書かれた作品で、わたしがよく知っており、好きなものが二つあります—オペラ『画家マチス』からの交響曲と、バレエ『高貴な幻想』です。晩年の作品で、やはりわたしがとても好きなのは小規模なオペラ『長いクリスマスのディナー』です。これはソーントン・ワイルダーの台本にもとづくもので、すばらしい作品です。オーケストレーションはひかえ目ですが、よくできています。わたしは聴いたことはなく、スコアを見たことがあるだけですが・・・。もちろんこの曲にはとくに驚くべきものはなにもありません。眼をみはらせたのは若き日のヒンデミットでした。シュトラウスがヒンデミットにむかって冗談まじりに、「なんだって君はあんなひどい作曲をするのかね。いいアイデアをもっているのに」と言ったのはその頃のことです。しかしヒンデミットの晩年は不幸でした。彼はつねに彼を支持してきた人びとまで敵にまわして戦った。彼は、ドイツのラジオ局はなんでも放送するのにヒンデミットだけはやらないと、ひどく不平を言っていました。彼は十二音システムをきらい、それは不自然だと言っていました。十二の半音の相互関係は、彼にとっては疑う余地のないドグマだった。この点では彼と歩調をあわせることは困難でした。わたしはケプラーを扱ったヒンデミットの最後の大きなオペラ『世界の調和』を1957年にミュンヘンで聴きましたが、おそろしく退屈なものでした。
それから、『今日のニュース』のあとに、ヴァイルの『マハゴニー』の大問題が起こりました。

ピーター・ヘイワース編/佐藤章訳「クレンペラーとの対話」(白水社)P133-135

師マーラーの作品同様、クレンペラーはそのすべてを認め、愛していたわけではなかった。あくまで彼自身の耳、審美眼を通じて気に入ったものだけをクレンペラーは推した。
(躁鬱的気質の影響もあろう、白黒をはっきりさせたがるタイプであろう)

ツィーザク フォン・シュタイネン ヴァレン コチニャン エルスナー マーチン カウネ ヤノフスキ指揮ベルリン放送響 ヒンデミット 歌劇「長いクリスマスの晩餐」(2004.8録音) バーンスタイン指揮イスラエル・フィル ヒンデミット 交響曲「画家マティス」ほか(1989.4Live) フルトヴェングラー指揮ウィーン・フィルのヒンデミット「世界の調和」ほかを聴いて思ふ フルトヴェングラー指揮ウィーン・フィルのヒンデミット「世界の調和」ほかを聴いて思ふ

僕は、フルトヴェングラーの先の論文を若い頃に読み、少しずつだけれど、ヒンデミットの作品に触れてきた。確かに初期作品の「新しい響き」にシンパシーを覚える。

・ヒンデミット:バレエ組曲「気高い幻想」(1938)(1954.10.7-8録音)
 導入部とロンド
 行進曲とパストラール
 パッサカリア
・フンパーディンク:歌劇「ヘンゼルとグレーテル」(1891-92)(1960.9.27&29録音)
第1幕前奏曲
第2幕「夢のパントマイム」
オットー・クレンペラー指揮フィルハーモニア管弦楽団

バレエ「気高い幻想」は聖フランチェスコを題材にした、レオニード・マシーンとの共同作業によるものだが、全曲盤を僕は聴いたことがない。しかし、後に発表された3楽章の組曲版を長らくクレンペラー盤で愛聴してきた。

深沈とした導入部からロンド部への流れを、ゆったりと、重厚に歌い上げるクレンペラーの音楽作りは、ヒンデミットの「ドイツ的」な性質を見事に描く。そして、時にマーラーのような様相を示す行進曲とパストラールは、マーラーの弟子たるクレンペラーの本懐。
白眉はパッサカリア。最終場面のクライマックスに向けて、聖フランチェスコの神秘を讃える文字通り「気高い」ものだ。

クレンペラー指揮フィルハーモニア管のヒンデミット「気高き幻想」(1954.10録音)ほかを聴いて思ふ クレンペラー指揮フィルハーモニア管のヒンデミット「気高き幻想」(1954.10録音)ほかを聴いて思ふ

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