社会主義リアリズムって?~デュトワのプロコフィエフ

社会主義リアリズムって何だったんだろう?
ある一面をみれば、国家がすべてを統括するために作り出した幻想といえるだろうが、こと芸術的側面からだけみたらば、意外にそれはそれで一理あるのでは。ソビエト連邦の作曲家の作品のほとんどはどんなに背面に意味を凝らそうと、少なくとも表向きは大衆に受容されるわかりやすい作品であることからも「真実」だと定義できるから。
共産主義のそもそもの問題は「信仰」を捨てたことである。目に見えるものと目に見えないものと。身体と心と。科学と宗教と。それらのすべてがバランスの中で本来は一元化されるものなのに体制は神を否定した。本当はそうするものではなかっただろうに。だって、どんなに「社会主義リアリズム的音楽」を創作しても、音楽に仏心が存在するならばそもそもその思想を標榜すること自体矛盾を孕むものだし。
だから、ショスタコーヴィチやプロコフィエフが一生懸命体制に迎合するべく書いた作品たちも聴き方を変えれば実に神々しい。「森の歌」然り、「アレクサンドル・ネフスキー」然り。聴けば聴くほどそのことがいよいよ明確になる。
まぁ、あまり深く考え過ぎるのは止そう。とにかく感じること、愉しむこと、だ。

プロコフィエフ:
・カンタータ「アレクサンドル・ネフスキー」作品78
・交響組曲「キージェ中尉」作品60
ヤルド・ファン・ネス(メゾ・ソプラノ)
シャルル・デュトワ指揮モントリオール交響楽団&合唱団

外面的に磨くだけでは片手落ち。ましてやただ内面に目を向ければ良いというものでもない。内と外とのバランス。そして内なる力のバランス。すべてがゼロになった時に人は本来の力を取り戻すのか。
その点、プロコフィエフのこれらの映画音楽は実にバランスに優れている。
非常にわかりやすい音楽ながら、間違いなくソビエト的な古臭い慣習的な要素がその中に聴いてとれるのだから面白い。音楽というものはそれを作り出した作曲家と時代背景、あるいは環境というものがしっかり反映される。何事もバランスなり。

そういえば、昔、初めて「キージェ中尉」を聴いたとき、衝撃を受けた。確かオーマンディ&フィラデルフィア管のアナログ盤だったように記憶する。あのアメリカ的洗練の極みのプロコフィエフも良かったが、それに輪をかけて美しいこのデュトワ盤はおすすめ。


17 COMMENTS

雅之

おはようございます。

・・・・・・アリョーシャは、ほかの者たちと逆の道を選択しただけで、すぐにでも偉業を成しとげたいという熱い思いに変わりはなかった。真剣に考えたすえ、不死や神が存在するという信念に心から打たれると、すぐ彼はごく自然に、こう自分に言い聞かせた。---「ぼくは不死のために生きたい。中途半端な妥協はごめんだ」。
 これとまったく同じに、もし不死や神がないと信じたのであれば、この青年はやはりすぐに無神論者や社会主義者たちの群れに加わったろう(社会主義というのはたんなる労働問題、ないしはいわゆる「第四階級」の問題ではなく、もっぱら無神論上の問題、すなわち無神論の現代的解釈の問題であり、また地上から天に到達するためではなく、天を地上にひきずりおろすために、まさしく神なしで建設されたバベルの塔の問題なのだ)。・・・・・・
カラマーゾフの兄弟1 (光文社古典新訳文庫) ドストエフスキー (著), 亀山 郁夫 (翻訳) 66ページより
http://www.amazon.co.jp/%E3%82%AB%E3%83%A9%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%82%BE%E3%83%95%E3%81%AE%E5%85%84%E5%BC%9F1-%E5%85%89%E6%96%87%E7%A4%BE%E5%8F%A4%E5%85%B8%E6%96%B0%E8%A8%B3%E6%96%87%E5%BA%AB-%E3%83%89%E3%82%B9%E3%83%88%E3%82%A8%E3%83%95%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC/dp/4334751067/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1337202781&sr=1-1

人間、そんなにうまくバランスが取れてりゃ芸術はいらないと、私は考えます。

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岡本 浩和

>雅之様
こんにちは。

>人間、そんなにうまくバランスが取れてりゃ芸術はいらないと、私は考えます。

おっしゃるとおりですね。僕はソビエト音楽というのは大変に素晴らしい芸術揃いだと思うのです。
その意味では、表上は禁止されていた信仰を芸術に対してもち、意識はしないまでもそこに神を観ていたのではないかと思います。でないと、あんなに感動的な作品は書けないのでは・・・。

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雅之

神を信じていようがいまいが、人間の価値には何も関係無いと思います。

神や宗教の名の下に、人類はどれほど殺し合いを繰り返してきたのでしょう。同じキリスト教やイスラム教でも、同じ宗教なのに宗派対立による殺戮が止めどもなく繰り返されているのも宗教人たちの悲しい性(さが)です。
マルクス社会主義も、我々東洋人から見れば極めてキリスト教終末論的な世界観、歴史観の思想であり、残酷さ非情さという点では宗教の残酷さ非情さと五十歩百歩でしょう。

岡本さんが、いや日本人が好む「八百万の神」も、突き詰めればおかしなものです。「トイレの神様」などという神を信じられるのは日本人ぐらいでしょうし、どんなものにも神様がいるのなら、「セシウムの神様」「プルトニウムの神様」もおられるでしょうし、原子核一個一個にも、陽子、中性子、電子、クォークのひとつひとつにもきっと其々神様がおられることでしょう。

そして、神を信じない宗教もあるのです。私の信じる宗教は禅宗ですが、仏教の本流は明確に神の存在を否定しています。基本的には唯物論と因果律、宇宙の法則のみで構成される宗教なのです。宇宙の法則は断じて神などではなく、あくまでも法則です(そのことが理解できないのなら、仏教について語る資格はありません)。永遠の命を得たいなどと願うことすら邪道です。

繰り返しますが、神を信じていようがいまいが、人間の価値にはいっさい関係ありません。

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岡本 浩和

>雅之様
どんなものでも「宗教」となると突然胡散臭くなります。
それは組織化して信仰を広めようとするいわゆる布教活動に問題があるのだともいえると思います。
しかしながら、ここで僕が言う神とは、あくまで「神という概念」のことを指します。
ということは、おっしゃるようにどんなものにでも―いや、あくまで自然が創造したものの内には「神なるもの」は宿ると思うのです。
ですから人間が作り出したセシウムやプルトニウムには神はいません(と僕は思います)。

>宇宙の法則は断じて神などではなく、あくまでも法則です

雅之さんは神の存在を肯定されていますか?否定されていますか?
僕が思うに、神こそは外に求めるものでなく、自分の内に在るものだということです。
それこそ般若心経でいうところの「観自在菩薩」です(この話、前にも書いたように記憶しますが)。
僕自身は神の存在は信じます。しかしそれはあくまで自分の内なる信仰の中に溢れ出るものだと思うのです。

>永遠の命を得たいなどと願うことすら邪道です。

これについては同感です。そもそも命ははじめから永遠ですから。

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雅之

岡本さんは、もっと仏教についても深く学ばれたほうがよいですよ。

>どんなものでも「宗教」となると突然胡散臭くなります。

そりゃまた問題発言ですね。私は仏教よいう宗教を信じているので看過できません。

岡本さんが確信を持たれている宗教観も、私から見れば70億(世界の人口)分の1の宗教観に過ぎず、何の不変性もありません。

>そもそも命ははじめから永遠ですから。

共産主義国家のユートピアを信じる人と、同じですね。「幻想」を信じるという点で・・・。

だったら人殺しをしてよいという、オウムのようなカルトや宗教テロリストと同じ論理になりかねません、非常に危険です。

よくわからないものはわからないという、謙虚さが欠如していると、私には感じられます。

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雅之

×私は仏教よいう宗教を信じている
○私は仏教という宗教を信じている

×不変性
○普遍性

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岡本 浩和

>雅之様
おはようございます。
津田と小林の問答の如く少し挑発的にいこうかと思いましたが、確かに僕の勉強不足です(苦笑)。
失礼しました。

>だったら人殺しをしてよいという、オウムのようなカルトや宗教テロリストと同じ論理

しかし、これは飛躍しすぎだと思います。
命や魂は永遠だと僕は信じますが、上記の論理はエゴに基づくものですから、それはまた違います。

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雅之

>しかし、これは飛躍しすぎだと思います。

いや、根っ子はまったく同じでしょうね。それに気がつかれないのが致命的な弱点ですね。
岡本さんもまさにそうですが、自分の世界観、宗教観だけが唯一正しいと信じきっているうちは、私に言わせればエゴの塊そのものなのです。だから、宗教戦争、宗派対立は絶え間なく繰り返されるのです。

信仰の陥穽に無自覚な人々が、特権意識丸出しで、見てきたように「永遠の命」「永遠の魂」などと宣われても、それ自体が人間の驕り、厚顔無知、神秘な神の領域への冒涜ではないでしょうか。

とにかく、無自覚、無意識っていうのは危険ですよ。

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雅之

よそごとを考えながら急ぐと、どうも変換ミスが多くて・・・。厚顔無恥が正しいです。お詫びします。

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岡本 浩和

>雅之様
こんばんは。

>自分の世界観、宗教観だけが唯一正しいと信じきっているうちは
いやいや、少なくともそういう狭い了見での話ではないです。
ですから気はついております。
宗教戦争は、命の永遠を信じていても自分たちの教理だけが正しいという信念に基づくものだと思います。
そもそも教理など人間が作ったものですから。
命が永遠だということだけを知っていればどの宗教信じるかはどうでもいいことです。そのことを理解しないいわゆる原理主義者が戦争の火種を起こすのだと僕は思うのですが。

>信仰の陥穽に無自覚な人々が、特権意識丸出しで、見てきたように「永遠の命」「永遠の魂」などと宣われても、それ自体が人間の驕り、厚顔無知、神秘な神の領域への冒涜ではないでしょうか。

ですから、信仰の陥穽に「自覚的」であればこれは問題じゃないですよね?

>とにかく、無自覚、無意識っていうのは危険ですよ。

この点については何事もそうだと同意します。

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雅之

>命が永遠だということだけを知っていればどの宗教信じるかはどうでもいいことです。そのことを理解しないいわゆる原理主義者が戦争の火種を起こすのだと僕は思うのですが。

そりゃ、優柔不断ってものでしょう(笑)。お気楽な信仰ですね。そんな甘いお考えが、世界で通用するとお思いですか? 典型的な机上の空論ですね。

そもそも、命が永遠かどうかなんて、宇宙が永遠かどうかと同じくらい誰にもわからないことじゃないですか。

岡本さんの来世はビフィズス菌で、私の来世はシマウマかも知れません。人間に戻るには、あと1億回くらい生まれ変わらなければならないかもしれません。私のこの考えを明確に否定できますか?

何でもありということは、何もないというのと何ら変わりません。

命が決して永遠ではないことを説く宗教だってちゃんとあります。だからこそ、この現世での命が大切でかけがえのないものだと・・・。

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岡本 浩和

>雅之様

>命が決して永遠ではないことを説く宗教だってちゃんとあります。

宗教は「真理」じゃないですからね。
解釈者が違えばどんな風にでも説法できますよ。

>そもそも、命が永遠かどうかなんて、宇宙が永遠かどうかと同じくらい誰にもわからないことじゃないですか。

これについては客観的な証明は確かになされていないことは認めます。
しかし、過去世を記憶する赤ちゃんやサイキックをどう説明しますか?命が延々とつながっているということですよね?(こう書きながら決定的な客観的説得材料に欠けているのでこれ以上は止めにしますが・・・笑)

>岡本さんは仏教徒でないことがよくわかりました。

馬鹿にはしませんが、確かにどの宗教の徒でもないかもしれません。

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雅之

>過去世を記憶する赤ちゃんやサイキックをどう説明しますか?命が延々とつながっているということですよね?

ちっとも「永遠」の説明になってないじゃないですか。

そういう有名なものは手品と同じで必ずタネがあるに決まってるので何も信じちゃいませんが、仮に百歩譲って、過去世を記憶する赤ちゃんやサイキックを認めるにしたって、せいぜい2~10代くらいの生まれ変わりで、後は単なる物質か、あるいはダンゴムシかゴキブリだっとかもしれませんよ(笑)。世界の総人口の推移を考えてもみてください。

なんにも「永遠」の根拠にはなっていません。

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岡本 浩和

>雅之様

>ちっとも「永遠」の説明になってない

いやいや、魂に生も死もないということですよ。
物質的なものは消滅しても魂は死なないと。
仮に地球が滅びたって魂そのものは生きていると思いますよ、僕は。

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雅之

岡本さんが信じる輪廻の話と、まったく整合性が取れていないんですけど(笑)。

輪廻の話が駄目だとわかると、結局、キリスト教的な価値観に落ち着くのですね(笑)。

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