バーンスタイン指揮ウィーン・フィルのマーラー交響曲第6番(1988.9Live)を聴いて思ふ

mahler_6_bernstein_vpo464何はともあれ果敢に挑戦し続けるべきだ。
世界が自分に追いつくのを待つしかない。

ごくたまに耳にするマーラーの音楽は、聴く者を鼓舞する。
どんなに挫折を味わおうと、どんなに否定されようと、信じた道を突き進まねば。
レナード・バーンスタインはかく語る。

来たのだろうか?むしろ、とっくに来ていたのだった。各々の交響曲の各々の小節が、彼のあの特殊な精神的分泌液にひたされたペンで書かれたときから、彼の時代は始まっていたのである。彼の生きていた時代を代表する作曲家がいたとすれば、それはマーラーにほかならなかった。ただ、世界が半世紀後に認めるようになるということを、彼がすでに予知していたという意味においてのみ、予言者的であったにすぎない。
(三浦淳史訳)
「音楽の手帖 マーラー」(青土社)P94

「特殊な精神的分泌液」とバーンスタインが名付ける力こそが個性であり、そういうものは本来誰の内側にもあるものだ。自身のユニークさを受け容れ、そして「自分以外の何者にもなるまい」と闘い続けた精神力こそがグスタフ・マーラーの神髄。
マーラーのどの作品にも「新しさ」がある。

私の「第6」は謎を投げかけるでしょう。それに近づきうるのは、私の5曲の交響曲すべてを受け入れて咀嚼した世代のみでしょう。
(1904年秋、リヒャルト・シュペヒト宛)
ヘルタ・ブラウコップフ編/須永恒雄訳「マーラー書簡集」(法政大学出版局)P309

ここまで来ると、マーラーは自身の芸術の難しさをよく理解していたようだ。自らを実に正しく客観視できているところが素晴らしい。また、ほんの少し齧っただけでわかったつもりになってもらっては困るという気概すら感じられる。彼は、ともかくすべてを聴けと、そして理解せよとあくまで高飛車に訴えるのである。

私の「第6」はまたしても堅い胡桃のようです。我が批評家諸氏のやわな歯では噛み砕くことなどかなわないでしょう。とは言い条、相も変わらず奴さんたちはあちこち演奏会場を漫歩してだらしなく常套を並べています。アムステルダムでの演奏をたのしみにしております。
(1906年10月15日付、ウィレム・メンゲルベルク宛)
~同上書P331

初演当時、一筋縄ではいかなかった交響曲第6番は、完成から100余年を経た今では、コンサートでも比較的頻繁に採り上げられる作品となった。何度聴いても新しい発見に満ちる名曲である。

マーラー:
・交響曲第6番イ短調(1988.9Live)
・亡き子をしのぶ歌(1988.10Live)
トーマス・ハンプソン(バリトン)
レナード・バーンスタイン指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

晩年のバーンスタインの表現は相当の粘着質で、そのあまりの大袈裟加減に背を向ける人も多いようだが(特にこの第6交響曲は)、愛妻アルマへの想像以上の情感溢れる第3楽章アンダンテ・モデラートなどはそれこそバーンスタインの真骨頂で(静寂と愛情と)、彼が棒を振ったマーラーの緩徐楽章の中でも指折りの名演奏だと僕は思う。
そして、30分超に及ぶ終楽章の悠揚たるテンポから溢れる生命力と魂の咆哮に感動(運命のハンマーの有機的響き!)。例えば、バーンスタインのこの遅いテンポであるがゆえに聴き取れるリヒャルト・シュトラウスの木魂。この時期のマーラーには精神的余裕があったのだろう、盟友シュトラウスへの感謝の念ととらえても良いのでは?

ちなみに、ハンプソンを独唱に迎えた「亡き子をしのぶ歌」は、やはりバーンスタインのどっしりとしたテンポに支えられ、いかにも哀感こめて心情を表現するも、個人的には女声が好い。

 

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7 COMMENTS

雅之

マーラーは2002年においても有効なメッセージを放つ、ということですか?

 その通りです。私が住んでいるイスラエルで今、起きていることを知って下さるだけでも、世界の現状がどれほど悲劇的か、おわかり頂けるでしょう。悲劇的という言葉が出ましたので、先に交響曲第6番のことに触れておきます。この曲の終楽章にはハンマーによる大きな衝撃音が2度、現れます。衝撃は物理的なものにとどまらず、精神的にも深く及びます。私は長い間、第一撃を広島、第二撃を長崎・・・・・・と人類史上最初の原子爆弾の悲劇になぞらえ、指揮してきました。ところが昨年の9月11日以降、それがニューヨークのワールド・トレード・センター・ビルに突っ込んだ一機目、二機目のハイジャック機の映像と重なって仕方ないのです。あの同時多発テロからアフガニスタンの戦闘、イスラエルとパレスチナの衝突と、世界は悲劇の度を増しています。マーラーが広島やニューヨークの惨劇自体を予言したわけではありませんが、芸術家の予感として、悲劇の一撃はすぐさま次の一撃を誘うという恐ろしい現実を、ハンマーの衝撃音に託したとは言えるでしょう。

Miraist Club(横浜みなとみらいホール友の会)会報誌2002年夏号 ベルティーニへのインタビュー記事(インタビュー&構成・池田卓夫)より

5年前に東日本大震災と福島第一原子力発電所事故が起きた時には、ベルティーニが語っていたジンクスを即座に連想しました(ハンマーが当初構想の3回だとすれば、地震⇒津波⇒原発事故)。

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雅之

補足ですが、岡本様と私で打楽器全般に対する心象に差異があることは、想像に難くありません。だからこそ面白いです。

返信する
岡本 浩和

>雅之様

ベルティーニの言葉、身に沁みます。
ありがとうございます。

>岡本様と私で打楽器全般に対する心象に差異があること

なるほど、このあたりもいずれお会いしたときにお聞きしたいと思います。
面白いですね。

返信する
雅之

ベルティーニの指摘、「芸術家の予感として、悲劇の一撃はすぐさま次の一撃を誘うという恐ろしい現実を、ハンマーの衝撃音に託したとは言えるでしょう」は、奇しくも今回の熊本地震で、またもや繰り返されてしまったようです。

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