ストラヴィンスキーとバレエ・リュス

100年前のパリのオペラ座で、あるいはシャンゼリゼ劇場で繰り広げられたバレエ・リュスの衝撃を僕も体験してみたかった・・・、とこれまで何度思ったことか(決して叶わないけれど)。5年ほど前だったか、目黒の庭園美術館でヴァスラフ・ニジンスキーの振付による「牧神の午後」と「薔薇の精」、そして「ペトルーシュカ」を観た時は相当の興奮を覚えたが、20年も前からバレエ・マガジン誌上でその詳細について知り、最も興味を持ちながらこの目で確認する術がなかった「春の祭典」の上映がなかったことには少しがっかりしたものだった。
ジョルジュ・ドンが存命の頃、そう、モーリス・ベジャール率いるベジャール・バレエ団がまだ二十世紀バレエ団と名乗っていた頃、僕は彼らのバレエにはまって、モダン・バレエの世界に開眼した。20数年前の、ベジャールが最も熱い頃だ(と僕は信じている)。それこそ追っかけのように彼らが来日するたびに公演に訪れ、ある時は舞台裏にまで招待を受け(とある寿司屋で隣に座る外国人に話しかけたところそれが偶然ベジャール・バレエ団の一員だった)、ベジャール本人にも直接会わせてもらえた。そしてまた、上野ではドンの踊る「ボレロ」も「アダージェット」も涙しながら心震わせて観たし、「春の祭典」も心底感激した。さらには、あの頃はまだ僕のそれを受け止める器が小さかったせいもあってかあまりよく理解できなかったが「ニジンスキー・神の道化」のステージも観た(こちらは開館間もない渋谷のBunkamuraで)。そのどれもが素晴らしかった。いまだに記憶に残る宝物のような体験だが、でもやっぱりニジンスキー版の「春の祭典」をいつかじっくりと鑑賞してみたいという夢は消えることはなかった。

先日、フォーキン版の「火の鳥」とニジンスキー版の「春の祭典」(ワレリー・ゲルギエフ&マリインスキー劇場による2008年の公演)が映像でリリースされていることを知り、早速手に入れた。それから何度も繰り返し観た。「火の鳥」の真意が、ストラヴィンスキーの音楽の意味がやっとわかった、そんな気がした(チャイコフスキーの三大バレエ然り、バレエというものもやはり舞台とともに、つまり映像を伴って観ることが重要だと今更ながら確認)。そして、件の「春の祭典」については・・・、言葉を失った。生贄の乙女のあの動き(踊り)は、まさにニジンスキーそのものだ。長老の奇異な動きもやっぱりニジンスキーそのものだ。

ようやく渇きが半ば癒された!あとは実際の舞台に触れてみたい、それが今の想い。

ストラヴィンスキーとバレエ・リュス
・バレエ「火の鳥」(ミハイル・フォーキン振付1910年版)
舞台装置・衣装:アレクサンダー・ゴロヴィン、レオン・バクスト、ミハイル・フォーキン
エカテリーナ・コンダウーロワ(火の鳥)
イリヤ・クズネツォフ(イワン王子)
マリアンナ・パヴロワ(王女)
ウラジーミル・ポノマレフ(不死身のカシチェイ)ほか
マリインスキー・バレエ
・バレエ「春の祭典」(ヴァスラフ・ニジンスキー振付ミリセント・ハドソンによる再構築1913年版)
舞台・衣裳:ニコラ・レーリヒによる(ケネス・アーチャー監修)
アレクサンドラ・イオシフィディ(選ばれし生贄の乙女)
エレナ・バジェーノワ(300歳の女-長老)
ウラジーミル・ポノマレフーミ(賢者)ほか
マリインスキー・バレエ
ワレリー・ゲルギエフ指揮マリインスキー劇場管弦楽団(2008.6Live)

マリインスキー・バレエの実力についてはあまりよく知らなかったが、このBDを観る限り、レベルは相当に高い(当然か・・)。それに、ゲルギエフについてはあまりの多忙さにその芸術がいい加減になっているとかどうとか言われることも多いが、少なくともこの演奏を聴く限りやっぱり素晴らしい。「火の鳥」も「春の祭典」も例のゲルギエフならではの解釈で、「ハルサイ」など最後の大見得を切るところは健在だし、どの瞬間もワクワクする。
嗚呼、ゲルギエフ&マリインスキーでストラヴィンスキー・バレエを生で鑑賞してみたいもの。


13 COMMENTS

雅之

こんばんは。

ご紹介のBDは所有していません。魅力的ですねぇ。私もこれを機にバレエをもう少し勉強してみたいです。

今夜は飲酒して眠いので、コメントにオチは付けません。
岡本さんが、毎日思い切りジャンルを飛ばすから、私も対抗して、手持ちの盤から思い切り「あさって」の方向に舵を切り、とりとめもなくコラージュしてみます(参考文献 ウィキペディア他より)。

1911年6月に『ペトルーシュカ』が上演された後、『春の祭典』の創作が本格的に開始されました。ロシアに帰国していたストラヴィンスキーはレーリヒを訪ねて具体的な筋書きを決定し、レーリヒはロシア美術のパトロンであったテーニシェヴァ公爵夫人のコレクションから古い衣裳を借り受けてデザインの参考にしました。同じ頃に「春のきざし」から始められた作曲は、同年冬、スイスのクレーランスで集中的に作曲が進められた結果、1912年1月にはオーケストレーションを除き曲が完成しました。ストラヴィンスキーはこの年の春に演目として上演されることを希望しましたが、ディアギレフはこれを翌年に延期するとともに、大規模な管弦楽のための作品にするよう要望しました。その後、オーケストレーションが進められ、1913年にストラヴィンスキー『春の祭典』は完成しました。

豪華客船タイタニックは、今から100年前、1912年4月14日の深夜に氷山に接触し、翌日未明にかけて沈没しました。

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1912年春頃、ディアギレフはそれまでのバレエ・リュスの振付を担当していたミハイル・フォーキンにかわり、天才ダンサー、ヴァーツラフ・ニジンスキーをメインの振付師にする決意を固めました。すでにニジンスキーは『牧神の午後』の振付を担当していましたが、作品が公開されていない段階であり、その能力は未知数でした。

1913年5月29日にパリのシャンゼリゼ劇場でピエール・モントゥーの指揮により『春の祭典』の初演は行われました。客席にはサン=サーンス、ドビュッシー、ラヴェルなどの錚々たる顔ぶれが揃っていた。初演に先立って行われた公開のゲネプロは平穏無事に終わりましたが、本番は大混乱となりました。

「春の祭典」初演の約4ヶ月後の1913年9月23日、先ごろ亡くなられた吉田秀和さんが生まれています。

パリ、1913年。ロシアの天才作曲家イゴール・ストラヴィンスキーの《春の祭典》の初演は、観客の罵声と怒声で大混乱に陥る。その客席には、ココ・シャネルの姿もあった。
7年後。すでに名声を手に入れていたが愛する人を失ったばかりのココと、ロシア革命後パリで亡命生活を送っていたイゴールが出会う。作曲に打ち込めるようにと、ココはイゴールに家族とともに郊外の自分のヴィラに移り住むよう提案する。惹かれ合いたちまち恋に落ちたふたりは、互いを刺激し、心を解放し、それぞれの中に眠っていた新たな創造力を次々と開花させていった。初めての香水創りに魂を注ぐシャネル。《春の祭典》再演にすべてを賭けるストラヴィンスキー。そして、ふたりの関係に気づき苦しむ妻カーチャ。それぞれが選ぶ道は ―。

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そのころ世界の総人口は20億人にも満たなかったといいます(現在は70億人以上)・・・。

返信する
雅之

コメントにあえてオチをつけますか(笑)。

100年で世界の総人口がここまで増えたということは、そんなにも多くの男女が結ばれていたということ。男女の愛は食欲と同じく本能であり、古今東西ありふれているのに、何で誰もが恋をすると男女愛を自分だけの特別なものだと思い込んでしまうのか、昔から私は不思議です。

「肉体の芸術」バレエを観て考えますか(笑)。

返信する
岡本 浩和

>雅之様
おはようございます。
素敵なコラージュをありがとうございます。

日々様々な音楽に触れていると、どうしても「それ」について書きたい衝動にいつも駆られておりまして・・・(笑)
この「火の鳥」&「ハルサイ」についても初めて観た時に恐ろしく感激し、そのままブログの記事にしても良かったのですが、確か他の事情があって(誰かが亡くなったとか、コンサート・レビューを書く必要があったりとか)書けなかったものです。昨日再視聴してやっぱり感動したのでようやく記事にした次第です。

ということで、相変わらずコラージュ風にあちこち飛び散りますが、ご容赦ください。

それにしても雅之さんの本日のコラージュであらためて思いますが、1910年前後の世界というのは本当に面白いです。いろいろな意味で研究の余地ありで、興味深いです。漱石もこの頃に活躍、円熟の境地に達してますしね。
ご紹介の映画「シャネル&ストラヴィンスキー」 は観ていないので、この機会に観てみたいと思います。
あと、バレエ・リュス周辺でドビュッシーやラヴェルの委嘱作品についても(映像があれば)研究してみたいところです。

>男女の愛は食欲と同じく本能であり、古今東西ありふれているのに、何で誰もが恋をすると男女愛を自分だけの特別なものだと思い込んでしまうのか、昔から私は不思議です。

なるほど、確かにそうですね。
いわゆる「男女の愛」こそは人間が作り出した空想、幻想なのかもですね。

>「肉体の芸術」バレエを観て考えますか

はい、同じく勉強させていただきます。

返信する
みどり

おはようございます。

ハーバート・ロス監督の「ニジンスキー」、ご存じでしょうか?
日本で公開されたのは82年秋、シネスクでの単館上映でした。
ディアギレフをアラン・ベイツ、カルサヴィーナをカルラ・フラッチ、
フォーキンをジェレミー・アイアンズが演じています。
ニジンスキーは当時ABT在籍のジョルジュ・デ・ラ・ペーニャ。

ダンスシーンも多く、「シェヘラザード」「遊戯」「ペトルーシュカ」
「ダッタン人の踊り」などが織り込まれ、復元されていなかった
「春の祭典」はケネス・マクミランが振付をしています。
「薔薇の精」の衣裳、ニジンスキーの写真だとモノクロでしょう?
凄く綺麗なのですよ!

「牧神の午後」初演時の劇場での騒動も挿入されていますが、
ジョルジュ・デ・ラ・ペーニャが素晴らしい。
ニジンスキーに容貌が似ていないなんて、もうどうでもいいです。
余り知られていない作品のようですが、もし機会があれば
是非ご覧いただきたいと思います。

…何か毎々押売りで恐縮です。然もわかりにくいところばかり。
「コンサートとか行くの?」「行きますよ」「一人で?」「…」
「あ、趣味が合わないのか!」「………」
師匠にも嗤われました。

返信する
岡本 浩和

>みどり様
こんばんは。
打出の小槌のようですね!いろいろ教えてください。

>ハーバート・ロス監督の「ニジンスキー」、ご存じでしょうか?

残念ながら、知りませんでした。解説を聞いただけでもう観たくなります。ありがとうございます。
そう、ニジンスキーの写真だとモノクロですよね。
うーん、これは絶対に観てみます。ありがとうございます。

>何か毎々押売りで恐縮です。然もわかりにくいところばかり。

いやいや、こういうところがまさしく「ツボ」でございまして。
こうやってブログを書く理由も貴重な情報をくださる方がたくさんいらっしゃるということも理由のひとつではあります。
重ね重ねありがとうございます。

返信する
みどり

つい先程知ったのですが、「ニジンスキー」の全編がYouTubeで
アップされていたのですね。
北米版のDVDしか今は入手できないと思っていたので
YouTubeはノーマークでした。
NIjinsky 1980 で検索してください。
既にご存じかと思いましたが、念のため。

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アレグロ・コン・ブリオ~第5章 » Blog Archive » スヴェトラーノフの「新世界」&「春の祭典」

[…] ・ドヴォルザーク:交響曲第9番ホ短調作品95「新世界より」(1981.3.17Live) ・ストラヴィンスキー:バレエ音楽「春の祭典」(1966.5.24録音) ・モソロフ:交響的エピソード「鉄工場」作品19(1975.10.2Live) エフゲニー・スヴェトラーノフ指揮ソビエト国立交響楽団 この音盤の白眉はやっぱり「春の祭典」。 この音楽ももはや通俗曲といっても良いのでは・・・。それに基本的に誰がどんな風に振っても「聴かせる」ようにできた曲だから、耳にしている瞬間は興奮を抑えられない。しかし、ゲルギエフ&マリインスキー・バレエのBDを観て以来、さすがにこの音楽はバレエ音楽だけあり、バレエのために演奏されると一層の光彩を放つことがわかり、実演でも録音でもバレエ付で観る方が面白いと今では考えている。20年以上前に観たベジャール・バレエ団のものも最高だったし、1968年頃に収録されたタニア・バリとジェルミナル・カサド主演によるベジャール振付の映像も素晴らしいし(若き日のジョルジュ・ドンが群舞のひとりとして出演しているのも見どころ)、なによりゲルギエフによるニジンスキー版の「春の祭典」がすごくて頭から離れないのだから。 閑話休題。 スヴェトラーノフの「春の祭典」。「スヴェトラーノフ屈指の暴力演奏」という評判通り。ただし、「世に名高い阿鼻叫喚のヴァイオレンスぶり」とか「広大なロシアの大地もせましとのたうち回る巨大な怪獣もさながらに変貌しているさまには無言絶句」というHMVのレビューはいくら何でもほめ過ぎ。 どちらかというと多少の恣意性を感じるくらいだから、少なくともこの録音だけでスヴェトラの「ハルサイ」は云々できない。実際もし生で触れていたら相当な感動があっただろうけれど。 もうひとつモソロフの「鉄工場」。このいかにも無機的な音楽が聴く者に牙をむく。こういうテンションで迫られた聴衆は唖然としたのではないか・・・。終演後の拍手に心なしか戸惑いが見えるよう(笑)。山崎さん、ありがとうございます。 […]

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